« 2008年10月 | メイン | 2008年12月 »

2008年11月

2008年11月10日 (月)

父が幼少の頃電灯が点いた

2008/11/10

父が幼少の頃電灯が点いた

父が幼少の時電灯が点いたらしい。これも正式な記録がないので聞き伝えだけである。父は

電灯が点いたとき、「ぱっとついた。ぱっとついた。」小躍りして喜んだとのことである。父にそ

の幼い頃の記憶はなかったとすると、これは父の母の記憶であったに違いない。WIKIPEDIA

によると、「利根発電株式会社は創業当時は上毛水力電気株式会社と名乗り1907年(明治

40年)5月に上毛水電(資本金60万円)で政友会の代議士大岡育三らにより発起し翌1908

年(明治41年)12月、東京市京橋区で創立された。」とある。推測だが、市部では明治の終

わりから大正の始めにかけて電灯が普及し始めたようだ。それ以外の村部では5~10年位

遅れて普及したのではないかと推測される。ともかく行灯から電灯への変化は相当大きな変

化であったに違いない。その変化がいかに大きくてもいつしかそれがあたりまえになってしま

うと歴史の変化を見失ってしまうような気がする。どんなに小さな歴史でも記しておくことには

意義があるであろう。

2008年11月 9日 (日)

ヨイトマケの記憶

2008/11/9

ヨイトマケの記憶

ヨイトマケという言葉をいままでほとんど意識しなかった。家を建てるとき地固めの為に行う基

礎工事である。母によれば、自分が3~4才位の幼児の頃の話らしい。おじさんの家が建つ

ので丁度、地固工事が行われており、その工事のかけ声をまねて遊んでいたという。そのま

ね声が「えーんじゃら」とかだったようだ。数人の作業者が滑車のついた綱を一斉に引っ張っ

て大きな重い槌をドスンと地面に落として地固めをする。母もその作業者の一人だったかもし

れない。その後しばらくはこの工法が使われたが、徐々に姿を消した。そうして、子供の世界

でも、何かかけ声をかける時「かーちゃんのためなら、えーんやこら」というかけ声が使われ

ていた。さて、このような工法は何というのかを調べるうちに、美輪明宏の「ヨイトマケの唄」に

行き当たった。その冒頭の歌詞は、

父ちゃんのためなら エンヤコラ
母ちゃんのためなら エンヤコラ
もひとつおまけに  エンヤコラ

である。多分このかけ声はヨイトマケの唄が出る前よりあったのだろう。実は美輪明宏の「ヨ

イトマケの唄」も聞いた記憶がない。土方という言葉がけしからぬと不遇な扱いを受けた歌だ

ったらしい。当時は失業対策事業で道路整備の仕事をする労務者がニコヨンと呼ばれてい

た。日給が二百四十円だったからのようだ。こういう言葉も経済の高度成長とともに消えてし

まった。自分が過ごした学生時代は丁度こういう経済発展にさしかかった時期であった。自

分のヨイトマケの記憶は母がいなければなかったのかもしれない。ひょっとすると、工事現場

まで遊びに連れていったのは曾祖母であったのかもしれない。祖母はまだまだ現役で誰にも

負けずに頑張っていた。孫の子守をする役は無かった。母の記憶を通して当時の記憶を再

体験しているのだろうか。「かーちゃん、太陽は火かい、月は水かい。」と聞いたのはヨイトマ

ケの記憶よりもう少し後で好奇心が盛んになった就学前頃であったろう。

2008年11月 8日 (土)

記憶はどこまでたどれるか

2008/11/8

記憶はどこまでたどれるか

誰でも幼い頃の大方の記憶は漠然としているのではないか。その中で強烈な印象を受けた

記憶は比較的鮮明に思い出せるようだ。自分が覚えていることではなく、後から他人から聞

かされた事を記憶していることもある。母が自分が幼いとき、「かーちゃん、太陽は火かい、

月は水かい。」と質問したよと大きくなってから母から聞いたことがある。それだから、こう答

えたという次の話も覚えていない。自然の物事に関心と疑問を持ち始めた頃のことであろ

う。自分もそんな時があったのかと思う程度であり、そういう話を聞くと恥ずかしい気もした。

多分、母親は科学的に教えてくれなかった思う。大きくなってから勉強しなと言われていたか

もしれない。いまから思うと、これはこうだ、あれはどうだとすべて親が教えてしまったら、自

分から学んで行くという習慣が身につかなくなるのではないかという気もする。当時の母親は

仕事に子育てに多忙であった。自分が母に聞いた光景をプレーバックしてみると、一瞬母が

仕事から解放された時を見計らって母にぶら下がりにいったのではないかとも思われる。

質問の答えはどうでもよかったのであろう。

2008年11月 7日 (金)

栗の木とシラガダユウ

2008/11/7

栗の木とシラガダユウ

収穫の秋で思い出すのは栗拾いである。台風で栗の木がゆすられると栗の実がたくさん落

ちる。子供が多かったので台風が去った後に子供達が一斉に裏庭に飛び出して栗拾いをし

た。今年は台風が上陸しない年になりそうだ。台風の影響を受けやすい農業にとっては良い

年であった。昨年の台風は強力で倉の壁が落ちたりして我が家も相当な被害を受けた。

台風で栗の実も落ちるが、大きな白い毛のシラガダユウ(白髪太夫)という毛虫も一緒に落ち

ている。栗は良いが、毛虫は怖い。この毛虫がかなり栗の木にいたから今でも思い出すので

ある。シラガダイダイと呼んでいた。この栗の木も家を建て直す時だったか、いつ切り倒され

たか定かでないが今は無い。しかし、自分が畑に植えた栗の木はまだ残っている。不思議な

ことにこれらの栗の木にシラガダユウがいないようなのである。シラガダユウがいると地表に

点々と糞が落ちるが、その糞が見当たらないのである。もっとも、子供の頃の程真剣に栗の

実を探しているわけでもないので見逃しているのかも知れないが。このシラガダユウもどこか

に追いつめられていったのだろうか。

*************************

追記(2014/6/11):「栗の木とシラガダユウ(2008年11月 7日 (金))。」の記事がランキング10位に入った。多分、KW=「栗」からこの記事に来たのではないかと思う。Googleでキーワード「栗」を検索しても50位以下のようだ。「栗 シラガダユウ」で2/約 100 件 。この記事の栗は祖先が植えた物。自分も叔父さんが苗を買うのでついでに買ってもらい数株植えた事がある。クリタマバチが寄生したのを覚えている。最近は管理もお手上げ。おまけに実生の栗が数本育ってしまった。トゲ無し栗を接ぎ木しようと育成したがそちらは失敗。トゲ無しグリもポロタンとか苗を購入したがその結果は?現在、実生の栗が一番元気だ。屋根より高くなり、どこまで育つか心配だ。栗が落ちても拾うものなし。でも、手入れも不要でよくなる果樹は柿・栗程度か。

Iob_kurinohana_misyou_140531
IOB_KURINOHANA_MISYOU_140531
*************************

BLOG TOPの 「アクセスランキング」へ飛ぶ

ページ先頭へ飛ぶ

2008年11月 6日 (木)

地域の歴史と公共事業

2008/11/6

地域の歴史と公共事業

人生の後半にさしかかると、しきりに来し方行く末に関心がわいてくる。地域の歴史に興

味を覚えるのも、自己の存在をその歴史の中で確認しようとする希求心があるからだろう。

鮭は自分の生まれた川に遡上すると言われている。生物が生まれた時の環境を自分の生き

られる環境として記憶の深層に取り込むためかもしれない。破滅する場所に向かったら、

生物の種はそこで絶えてしまう。人間も生まれ育った環境が安全で心地よいものと思う

本能のような習性があるのだろう。昨日、地域の川の氾濫被害対策として作成する調整池

の利用・活用に関する検討会が開かれ出席させて頂いた。調整池は氾濫する河川の流水を

一時溜めて置いて徐々に放水して氾濫被害を低減させる施設である。巨視的にみると自然

の猛威を人間がうまく飼い慣らす試みである。調整池が機能するのは多雨期の夏場の年に

数回だけである。従って、本来の機能が働く必要が無い時の利用・管理が重要な課題に

なる。地域の地形が地域の歴史を育む。当地は日本に旧石器時代が存在していたと言うこ

とを初めて証明した遺跡や八角正倉の遺跡もある。このような歴史をふまえ、環境に配慮し

た、地域住民、特に子供達が安心して有効に利用できる施設作りが真剣に検討された。自

分も魚取りの出来る池、湧水の復元、子供達が稲作体験が出来る水田の設置を提案させて

頂いた。従来の計画のように決定してから住民に知らせる方式ではなく、計画の策定の中に

住民の意見を取り入れて行くという新しい公共事業方式の第一号であるとの事だ。今後、ど

のような案がまとまるか楽しみである。

2008年11月 5日 (水)

Obama大統領誕生

2008/11/5

Obama大統領誕生

アメリカは普通の国に向かうか。長い歴史的なスケールで見ることは大切だ。

しかし、いざObama大統領がが誕生するとなると感動を覚える。

それは、ほぼ半世紀前にアメリカで盛り上がった公民権運動を思い出すからである。

アメリカ南部では黒人と白人の差別がまだまだ、残っていた。

当時は通学バスも黒人用と白人用が分けられていた。至る所に人種差別が存在していた。

この公民権運動を象徴するのが、マーティン・ルーサー・キング Jr牧師が、

1963年8月28日、リンカーン記念堂へ向かうワシントン大行進で演説したI Have a Dreama

という演説であった。この演説から今年で丁度45年目になるわけだ。

これを、朝日ソノラマという、薄っぺらなレコードのようなもので聞いた。

中身は忘れたが、タイトルは時々思い出す。

その演説のハイライトが以下の部分である。                

“I have a dream.That one day on the red hills of Georgia. the sons of former slaves and

the sons of former slave-owners will be able to sit down together at the table of

brotherhood.(私には夢がある。いつの日か、嘗ての奴隷の子達と、嘗ての奴隷の所有者達

の子達が、席を並べられる事を)”(WIKIPEDIAより引用)

キング牧師が黒人の宗教指導者であり、Obama大統領がアメリカ合衆国の初めての黒人

大統領になるという歴史的事実を受けてもう一度上記の演説を直訳的に訳し直してみた。

「私には夢がある。いつの日か、嘗ての奴隷の子孫達と、嘗ての奴隷の所有者の子孫達

が、このジョージア州の赤い丘のうえで、兄弟という絆に結ばれて一緒の席に着く事ができる

という夢が。」

キング牧師は黒人と白人の地位が平等になるという夢を熱く語ったのである。

ちなみに、ジョージア州はアメリカ独立戦争に参加した13州のひとつで、1861年の南北戦争

では連合国(奴隷制度存続を主張)に加盟した。最初の英国移民団が1733年2月12日に到

着したのがジョージア州のサバンナであった。歴史的に意義のある州である。

ジョージア州の人種的な構成(WIKIPEDIA)は:

62.6% ヒスパニック以外の白人
28.7% アフリカ系
5.3% ヒスパニック
2.1% アジア
0.3% 先住民
1.4% 混血

今、アメリカの新しい歴史が始まろうとしている。

この半世紀でアメリカの社会も大きく変わったのであろう。

ともかく変われるといことは希望が持てるということでもある。                                          

2008年11月 4日 (火)

初めての植物育て

2008/11/4

初めての植物育て

本日、アメリカの大統領選挙が行われる。アメリカの何が変わり何が変わらないのか。

長い歴史というスケールで見た場合、太平洋戦争から半世紀、圧倒的な軍事力・経済力を持

つ戦勝国として世界をリードしてきた。しかし、サブプライムローンというアメリカ発の難病に

侵され、世界の支援を受ける国になってしまった。結局、アメリカは普通の国に向かって行か

ざるを得なくなるのではないか。

子供が小さいとき、どこから掘ったか知れないが数十センチの木を庭先に植えた。何の木か

分からぬまま、大きくなるに任せておいた。そうして遂に、紫色の花を咲かせた。色々調べた

結果、センダンという木であると分かった。野生の木なので育ちが早い。枝を切っても一年で

同じ状態になってしまう。切り倒そうと思うが、もう少し残そうというまだ切れずにいる。自分の

幼い時を思い出すと、子供と同じような事をしていたようだ。植えた後速く大きくなれと、石鹸

水をかけていて父に笑われた。これが植物の育成の事始めであった。残念だが、何を植え

たか完全に忘れている。石鹸水をかけたので程なく枯れてしっまったかもしれない。それ以

来、花の種をまいたり、球根をうえたり細々とそういう趣味を続けていた。高校の時は園芸部

に入った。菖蒲だったか、株分けをした事位しか記憶がない。植木、花木等は父が残してい

っただけで手一杯となり、結局それ以外のものが中心となった。どうも最近の自分の関心

は、種を蒔き苗を育てたり、挿木、取り木、接ぎ木など植物を増やす方向に向かっているよう

だ。ところが、うまくゆかないといつの間にかあきらめて別なことをやっているという癖がつき

困っている。一つでも余計にうまくゆくように頑張って、出来なかったらまたやってみようと割り

切る以外にない。

2008年11月 3日 (月)

青空大学

2008/11/3

青空大学

敗戦という厳粛な事実から戦後の日本は歩みだした。小学四学年の時に友達の一家がブラ

ジルに移民して行った。農家に生まれて、農業の将来と自分の進路は幼いながら気になって

いた。日本の農業も大規模経営でないと成り立たなくなるという話をラジオで聞いたことも覚

えている。ブラジル移民も広大な農地という大きな夢があったのだろう。ともかく、小学校高学

年から中学校の前半頃は進路の悩みもあまりなかった。しかし、自分の進路を具体的に決

める段になると悩み事も多くなった。父はある時、冗談に「どうだ、青空大学に入ったら」と言

った。正面から言えないが農業を継ぐ気かという問いかけであった。青空大学に入ると決め

たなら、農業高校への進学ということになる。自分が青空大学に入る気がない事を察してか

らは、青空大学の話は二度と無かった。父も学問への志はあったが、戦争と家族の状況が

それを許さなかった。今となっては父の心中を聞くこともかなわない。

2008年11月 2日 (日)

短波ラジオへの改造

2008/11/2

短波ラジオへの改造

テレビが普及する前はラジオが家庭の娯楽の中心であった。居間の上部に棚を作りそこに

ラジオが鎮座していた。無線に興味を持ち始めたのが鉱石ラジオであったが、ラジオ雑誌を

読むようになって、中波ラジオを短波ラジオに改造するコイルパックなる部品がある事を知っ

た。小遣いをためてこれを買って改造を試みた。SWを切り替えると中波と短波が切り替えら

れるようになる。ラジオはST管の五球スーパーでマジックアイという同調指示管がついてい

た。緑色に光る部分が最大になるよう同調させると最適な選局ができる装置だ。残念だが、

改造後の使用状況を良く覚えていない。テレビが入りラジオの使用頻度が下がったのと興味

が他に移ってしまったためであろう。短波放送は国境を越え、時には地球の裏側からも電波

が届く性質がある。受信状態も電波強度が強くなったり弱くなったりする。短波放送を聞き始

めた事には遠い外国・未知へのあこがれもあったようだ。

2008年11月 1日 (土)

近道は遠回りか

2008/11/1

近道は遠回りか

高校の時は電車通学であった。駅と学校の間は徒歩である。どういう理由か分からないが履

き物は下駄であった。鞄は手提げ式の革鞄。これをぶら下げてからんころんと道路を歩く。

駅の近くが運送屋さんの倉庫。私有地だがこれを横切って行くと近道になるので無断で使わ

せてもらった。ある時、そこで働いている人に、「天下の公道を歩け!」と叱られた。「ここを通

っては駄目だ。」という叱り方ならよく分かる。しかし、「天下の公道を歩け!」という叱り方は

ちょっと聞き慣れない叱り方で、折りに触れて思い出す。ひょとすると、高度の意味を込めた

叱り方であったのではないかと思ったりする。「天下の公道」とは自由に胸を張って正々堂々

と歩くにかなった道のことだろう。君たちは前途のある若い高校生ではないか。私有地を通

おって近道をして、人の仕事の邪魔などしてはならない。他の人たちはちゃんと公道をあるい

ているではないか。人に迷惑をかけて近道をするようでは駄目だぞと諭してくれた一言であっ

たかも知れないのだ。最近は下手に叱ると何をされるか分からないと恐れる余り悪いことも

見て見ぬ振りをしてしまう場合が多い。賄賂も、汚職も、天下りも最終的な目標に達するため

の近道に違いない。ある目標を達成するに公正な手段に従うべき事が基本になる。ほめる

事はもてはやされるが、叱ることは毛嫌いされる。大人になってから叱っても手遅れかもしれ

ないが、幼少期、青年期に適切に叱ってやることは大切であろう。

検索サイト

NANDA?⇒物臭検索

  • ラベル(タイトル):最初は何も分からない
    なんだこりゃ?作成当時の記憶

エネルギー関係

ウェブページ

更新ブログ

PHOTO2(写真集)

  • Iob_fujijyuukouentotu
    たまたま出会ったもの2

PHOTO4(写真集)

  • Iob_minitomatodaruma
    果樹・野菜・花等

PHOTO5(写真集)

  • Iob_senteihasami_funsitu_sabi
    現在使われなくなった機器、農具、ガラクタ等。

PHOTO6(樹木等)

  • Iob_sendan_kiru_2013
    樹木の縮伐カット&トライetc

PHOTO7(写真集)

  • Iob_kaiko_ga_gazou
    BLOG関連写真2
フォトアルバム

MIKAN KUN

  • 赤城連山MAP
  • Fight_Fukushima
  • ISESAKI_PIGEON
  • MIKANKUN

Copyrighit

  • © Copyright 2006-2024  af06.kazelog.jp  All rights reserved.

健康関係:リンク&検索等

Favorites2

Favorites

Favorites3

Favorites4

やさしい科学・SCIENCE

  • 日経サイエンスのウェブページ
    「日経サイエンス」とは:「日経サイエンス誌は,1845年に創刊された長い歴史と伝統を持つ米国の科学雑誌「SCIENTIFIC AMERICAN」の日本版で,世界の最先端の科学技術動向を日本の読者に届けています。」
  • SCIENCE IS FUN in the Lab of Shakhashiri
    University of Wisconsin-Madison Chemistry Professor Bassam Z. Shakhashiri のサイト

みかん栽培関係情報

ISESAKI  有情2

ISESAKI  有情1

嗚呼 伊勢崎 非情

BOOKS

  • 橋本 英文: 刃物雑学事典 図解・刃物のすべて(1986年 株式会社 講談社 ブルーバックス B-659)
    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
    雑草を多面的に解説し防除の基礎も述べる

外国の博物館・美術館 外国語・国際関係(リンク)

TOOLS

地域産業・機関

地域興し関連情報

MEMO_TL_TEST

  • TOP PAGEの 「アクセスランキング(2015/6/8より表示再開)」へ飛ぶためのラベル
  • TEST END
    TEST_H23/10

アクセスランキング

リンク:ページ先頭へ飛ぶ

写真集へのリンク

MEMO 海外の博物館・美術館

  • https://www.artic.edu/collection?place_ids=Japan&page=6
  • 項目のタイトル2
    POST IT :ブログ画面への張り紙に使える。
  • TYPE LIST事始め
    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)