2013年1月11日 (金)

出番無きマニュアル(老人の寝言):福島原発事故から22ヶ月 大本営は抜け殻だったのか

2013年1月11日金曜日
昨日は晴れ。最高気温(℃) 8.3 13:22。ざっそう句:生姜湯で 体ポカポカ 安眠す。用事外出。その後タウンウォッチング。電気店を数軒まわったが、特に技術的に目新しい製品はお目に掛からなかった。テープ録音を焼くために安そうなでCD-Rを探す。テープのダビングが可能なダブルカセットという商品があったというのも昔話になってしまった。店毎の価格差はそれほど大きくはないが、よりやすい方を買った時はやったぜという気持ちになる。それよりも、一枚のCD-R記録容量が4G程度なのに対して、記録容量がその10倍ほどあるBD-R(ブルーレイ)ディスクが安くなっているのにはびっくりした。「フロッピーディスク(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2009/11/post-1794.html)(2009/11/13)」に書いた。ブルーレイはソニーと松下が中心に推進したが、その両社は、五年後の現在経営不振にあえいでいる。

2013年1月10日の天気(AMEDAS)

TAVE= 3.2
TMAX= 7.8 最高気温(℃) 8.3 13:22
TMIN= -0.6 最低気温(℃) -0.6 24:00
DIFF= 8.4
WMAX= 7.6 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 13.1(北北西) 14:51
SUNS= 9.1
RAIN= 0

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出番無きマニュアル(老人の寝言):福島原発事故から22ヶ月 大本営は抜け殻だったのか

本日は、2013年1月11日金曜日だ。この日から何を思い出すか。東北地方太平洋沖地震が発生し、それが同時に福島原発事故発生の号砲となった。当時の記憶を思い出して、いまでも残念だと思うことが幾つかある。東京電力の経営層に危機管理と社会的責任に対する自覚がどこまで徹底していたかというのが、そのうちの最大の無念事であると思っている。

国家にしろ、企業にしろ、その代表者には権限とともに責任が与えられている。その権限と責任は、24時間休むことなくその指導者と代行者の肩にのしかかっている。その責任に耐える者のみが指導者であり、主導者たるものはその責任に命を課すほどの自覚が求められている筈だ。

日本工業標準調査会のホームページに、:マネジメントシステム(ISO9001/14001 ...
は、「ISO 9000ファミリーについて。http://www.jisc.go.jp/mss/qms-9000.html。」というタイトルで、「ISO 9001とは、組織が品質マネジメントシステム(QMS: Quality Management System)を確立し、文書化し、実施し、かつ、維持すること。また、その品質マネジメントシステムの有効性を継続的に改善するために要求される規格です。具体的には、品質マネジメントシステムの有効性を改善するため、プロセスアプローチを採用し、組織内において、プロセスを明確にし、その相互関係を把握し、運営管理することとあわせて、一連のプロセスをシステムとして適用します。」と解説している。

追記:上記サイトの図面で顧客との関係について「顧客(およびその他の利害関係者)」という部分への補足があり、「括弧内の記述はJISQ9001には適用しない事項」と記されている。今回初めて気付いた事項だ。国際標準と国内標準が異なるのがやむを得ない場合があるだろうが、本質的な所で腰砕けになっている日本標準が国際的に通用するのか。新しい疑問が生まれた。

在職中、自分が所属している事業部門で、ISO9001の認証取得に関する業務を担当した事があった。そこで、覚えたのが、「権限と責任」という車の両輪のような関係。もう一つは、企業と社会との関係。これはCSRとも考えられるが、ISO9001は、社会(顧客)を代表する形で、外部機関が監査するという広義の経営システムでもある。このように、社会との節点を持たせることにより、経営体制の社会性が担保されるのだと感じた。勿論、法律ぎりぎりの低空飛行で企業を運営することは違法ではないが、すでにそのような考えは時代錯誤になっている。それだけ、企業が社会の一員として重要な地位を占めているのが現代だ。

ISO経営システムでは、文書かが求められる。「権限と責任」も明確に文書化されなければ認証を受けられない。そのような文書はマニュアルとも言われる。自分の体験から、「出番無きマニュアル」という言葉を使うようになった。マニュアルが粛々と執行されていれば、日々の行動自体がマニュアルに適合しているのだから、「出番無きマニュアル」が理想の状態でもあるのだ。一方、監査用の表マニュアルと日常運用の裏マニュアルがあるという問題が指摘された事もある。

「東海村JCO臨界事故。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%B5%B7%E6%9D%91JCO%E8%87%A8%E7%95%8C%E4%BA%8B%E6%95%85。(最終更新 2012年11月15日 (木) 15:35 )」『ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に、「東海村JCO臨界事故(とうかいむらジェー・シー・オーりんかいじこ)は、1999年9月30日に、茨城県那珂郡東海村に所在する住友金属鉱山の子会社の核燃料加工施設、株式会社ジェー・シー・オー(以下「JCO」)が起こした原子力事故(臨界事故)である。日本国内で初めて、事故被曝による死亡者を出した。」とある。

「柏崎刈羽原子力発電所。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%8F%E5%B4%8E%E5%88%88%E7%BE%BD%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E7%99%BA%E9%9B%BB%E6%89%80。(最終更新 2012年12月11日 (火) 13:11 )」『ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に、「柏崎刈羽原子力発電所(かしわざきかりわげんしりょくはつでんしょ)は、新潟県柏崎市と、同県刈羽郡刈羽村に跨る東京電力の原子力発電所である。略称はKK(ケーケー)。 現在1号機から7号機までの7つの原子炉を有する。7基の原子炉が発生する合計出力は821万2千キロワットに達し、7号機が営業運転を開始した1997年7月2日の時点でそれまでの最大だったカナダのブルース原子力発電所を抜いて世界最大の原子力発電所になった。 発電された電気は新新潟幹線及び南新潟幹線の2系統の50万Vの送電により一旦群馬県の西群馬開閉所に収容され、そこから山梨県を経て首都圏に送電されている。なお発電所の位置する新潟県は東北電力のエリアであり、協定に基づき電力の一部を東北電力に供給している。」とある。

柏崎刈羽原子力発電所で発生した事故に関して、東京電力は柏崎刈羽原子力発電所を対象サイトとしてISOの認証を取得したようだ(下記ニュースリリース)。これこそ、経営上の問題点を前向きに改善する第一歩であったのではないか。また、東京電力が率先して、福島第一原子力発電所等々への水平展開を図れば、その流れは、他の電力会社にも広がったのではないか。確か、下記ニュースリリース発行時の東京電力社長が、福島原発事故時の東京電力会長であったと思う。柏崎刈羽原子力発電所の教訓を福島第一原子力発電所で生かし、福島原発事故を軽減できたとしたら、東京電力はその指導者と共に現在以上の信頼を勝ち得ていたのではないか。

東京電力ホームページは、「柏崎刈羽原子力発電所の「ISO9001」認証取得について
~原子力発電所の運営管理を登録範囲とした取得は国内初~。http://www.tepco.co.jp/cc/press/06042602-j.html。( 平成18年4月26日))」というタイトルで、「当社・柏崎刈羽原子力発電所は、このたび、国際標準化機構の品質マネジメントシステムに関する規格である「ISO9001(注)」の認証を取得し、本日、登録証を受領いたしました。 「原子力発電所の運営管理」を登録範囲とした同認証の取得は、国内で初めてのことです。 当社は、かねてより、品質保証活動の改善を経営の重要課題のひとつと位置づけており、原子力発電所においても、平成15年から品質保証に関する社員教育や、品質マネジメントシステムに沿った品質保証活動の改善に取り組んでおります。 こうした中、柏崎刈羽原子力発電所では、平成16年1月に「ISO9001」の認証取得に取り組むことを公表し、発電所の品質保証活動を外部の専門家によって客観的に評価していただくことにより、品質保証活動のさらなる改善に努めてまいりました。 認証取得にあたっては、昨年12月の「文書審査」ならびに本年2月の「実地審査」を通して、規程・マニュアル類がISOの規格要求事項を満たしていることに加えて、業務が規程・マニュアルに則って適切に実施され、より質の高い品質マネジメントシステムの効果的な運用に努めていることが審査登録機関に評価されたものと考えております。」と報じた。

2011313月11日金曜日、東京電力の会長は海外旅行、社長は国内旅行の途上であったらしい。下司の勘ぐりで、旅先から金曜日に帰着して、土日はゆっくり休養するという優雅な物見遊山ツアーを想像した。国家や大企業の指導者とその代行者は危機管理上、同じ飛行機には乗らない、同じ場所に同時に行かないというのが鉄則だそうだ。東京電力もトップとナンバーツーが分散行動をしていたのは事実だが、作戦本部(HEADQUATER)をもぬけの殻にしていたのも事実のようだ。そのために、放射能をまき散らす原子炉のベント、廃炉を前提とする原子炉への海水注入等々経営判断をリアルタイムに行う貴重な時間が失われたしまったのではないか。11日の金曜日でふとそのような無念さが頭をよぎる。福島原発事故は人災だという事故調の結論を思い出す。

2013年1月10日 (木)

読みかじりの記(ツルよ 飛んでおくれ):「風景  山村暮鳥 著」(青空文庫 底本の親本:「聖三稜玻璃」人魚詩社。20130110。

2013年1月10日木曜日
昨日は晴れ。最高気温(℃) 11.3 14:26 。ざっそう句:初春や 庭の万年青に 赤い実が。庭の手入れ。ザクロ、サルスベリ、ウメモドキの縮伐。落葉樹なので冬が作業適期。思い切って太枝を切り全体の樹形を小さくする。サルスベリは樹皮がツルツル。その太枝から芽が出るのか心配だが。旨く行かないときの保険に、全部の枝を切らず半分程度残す。ウメモドキは雌雄異株だったか。実は白と赤の物がある。樹高が高くなりすぎてその実を鑑賞した記憶がない。こちらも樹皮がなめらか。木蓮の蕾が膨らみ始めている。

2013年1月9日の天気(AMEDAS)

TAVE= 5.1  
TMAX= 10.4 最高気温(℃) 11.3 14:26
TMIN= 1.5 最低気温(℃) 1.4 02:05
DIFF= 8.9  
WMAX= 5.4 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 10.0(北西) 23:57
SUNS= 6.9  
RAIN= 0  


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読みかじりの記(ツルよ 飛んでおくれ):「風景  山村暮鳥 著」(青空文庫 底本の親本:「聖三稜玻璃」人魚詩社
   1915(大正4)年12月10日発行)

昨年10月、上毛野はにわの里公園で行われた古代東国文化サミットに出かけた。公園の一角に歌碑や詩碑があった。そこにあった、山村暮鳥の詩碑がデジカメに残っていた。暮鳥という名前は知っているが、作品は何も知らない。この公園の北の方には土屋文明記念文学館がある。こちらは、国定忠次関係のイベントで一度だけ訪問した記憶がある。この公園にも土屋文明の歌碑があったが、「いちめんのなのはな」とひらがなで書かれた詩碑の方に目が移った。文明という大木の下で、いじらしくいきている雑木の風情を感じるが、「いちめんのなのはな」という言葉から、明るい春の景色を連想した。実は、その一連のムードのなかに銀色の世界がちりばめられているようだ。

「山村暮鳥。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%9D%91%E6%9A%AE%E9%B3%A5。(最終更新 2012年9月14日 (金) 11:58 )」、『ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に、「山村 暮鳥(やまむら ぼちょう、1884年(明治17年)1月10日 - 1924年(大正13年)12月8日)は、明治・大正期の詩人、児童文学者である。本名、土田八九十(つちだ はくじゅう)、旧姓は志村。」とある。

明治の文学者なら青空文庫に作品があるだろうと調べた。
『聖三稜玻璃(http://www.aozora.gr.jp/cards/000136/files/731.html#32)』の「風景
純銀もざいく」という題名である。菜の花の色とその明るさが、「金」なら、「銀」とは何か。一連の「いちめんのなのはな」という句行の中に、一行だけ異なる句行をちりばめている。「かすかなるむぎぶえ」懐かしい響きを連想する。「ひばりのおしやべり」楽しそうな場面だ。「やめるはひるのつき」分からない。「ひるのつき」は「昼の月」だろうか。それでは「やめる」とは何か。ここで、細部に踏み込むと詩情を損ねてしまいそうだ。その謎を解くカギが「純銀もざいく」なのだろうか。

「聖三稜玻璃」とはどんな意味か。「三稜」から三角柱を連想する。さらに踏み込むと、プリズムを思い出す。物理のプリズムは太陽光を七色の光に分解する。玻璃とは、仏教では七宝の一つの水晶。また、ガラスの意味もある。神聖でガラスのような三角プリズムは、言葉で言葉をスペクトルに分析する。

「 FUTUR」という、散文詩のような作品の中に、「何といふ痛める風景だ。何時(いつ)うまれた。どこから來た。粘土の音(ね)と金屬の色とのいづれのかなしき樣式にでも舟の如く泛ぶわたしの神聖な泥溝(どぶ)のなかなる火の祈祷。盲目の翫賞家。自己禮拜。わたしのぴあの[#「ぴあの」に傍点]は裂け、時雨はとほり過ぎてしまつたけれど執着の果實はまだまだ青い。」という部分がある。「やめるはひるのつき」と「何といふ痛める風景だ。」とは繋がっているのか。

「いちめんのなのはな」の中に、1/9だけ純銀の渋さと落ち着きをちりばめた作品のようにも見える。計算したら1/9=0.11111111~と無限小数になる。全27行の最後の一行は1/27=0.037037037037037037037037037037037とこちらは無限循環小数となった。偶然の一致だろうが、一つの詩が発生するスペクトルは無限に多いように見える。
Ichimennonanohana_shihi_121020
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追記(2020/04/25):ランキング8位に入ったが、自分のサイトからのアクセスをカウントしているようだ。この記事の詩碑を改作して「いちめんのますくだ」の記事を書いた。

老人の寝言:老人の妄想:身辺雑記:田舎老人徒然草:マスクって何だ?ズバリ仮面だ;いざ進め コロナが流行る 激戦地。20200423。

2013年1月 9日 (水)

愛しき古里(大木の移植):鹿島町にあった「疣(いぼ)薬師とカヤの大木」。130109。

2013年1月9日水曜日
昨日は晴れ。ざっそう句:鮭カマを 買って大根 引く畑。赤蕪、山東菜、自働蒔き大根を収穫。スーパーで野菜の値段を見たら、この寒さのためか結構高かった。カセットテープの音源を音楽CDとして焼いた。卓上CDラジカセで動作を確認。ファイルサイズが数百Mbと大きい。チャチなCDラジカセで再生できるか気になる。8mm映画フィルムや8mmビデオテープを持っているが、再生装置が無いか、あっても動きそうにない。宝の持ち腐れが増えそうだ。

2013年1月8日の天気(AMEDAS)

TAVE= 3.1  
TMAX= 10.4 最高気温(℃) 10.6 15:19 
TMIN= -2.9 最低気温(℃) -3.4 06:08 
DIFF= 13.3  
WMAX= 3.9 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 6.5(西) 02:43 
SUNS= 9  
RAIN= 0  

Q
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愛しき古里(大木の移植):鹿島町にあった「疣(いぼ)薬師とカヤの大木」

昨年末に、赤城見台公園へ出かける機会があった。伊勢崎聖苑とそれに隣接する赤城見台公園の南側の樹木が多い区画に「疣(いぼ)薬師とカヤの大木」という説明板が立っていた。標識の指示の方向に向かうと大きなカヤの木とその根元に古びた石仏があった。このカヤの大木は、鹿島町から現地へ移植されたと説明板に記されている。

移植時に、板碑や五輪塔の破片が出土し、それから推測すると600年の歴史があるらしい。薬師さまに対する長い信仰があった事を石仏と大木という証拠物件が証明照明しているのだろう。「疣(いぼ)薬師」という石仏を見ると風化が進んでいて、説明板がなければその由来は分からないだろう。頭部がくぼんでいるのは何か意味があるのか気になる。薬師さまは、庶民の疫病・健康への不安・心配事を受け止めてくれる薬師如来信仰として、地域に広まっていたようだ。

「薬師如来。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%96%AC%E5%B8%AB%E5%A6%82%E6%9D%A5。(最終更新 2012年11月2日 (金) 13:18 )」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に、「像容 [編集]:像容は、立像・坐像ともにあり、印相は右手を施無畏(せむい)印、左手を与願印とし、左手に薬壺(やっこ)を持つのが通例である。ただし、日本での造像例を見ると、奈良・薬師寺金堂像、奈良・唐招提寺金堂像のように、古代の像では薬壷を持たないものも多い。これは、不空訳「薬師如来念誦儀軌」の伝来以降に薬壷を持つ像が造られるようになったと考えられている。単独像として祀られる場合と、日光菩薩・月光菩薩を脇侍とした薬師三尊像として安置される場合がある。また、眷属として十二神将像をともに安置することが多い。薬師如来の光背には、七体または六体、もしくは七体の同じ大きさの像容がある。これは七仏薬師といって薬師如来とその化身仏とされる。 薬師如来の縁日は毎月8日である。これは、薬師如来の徳を講讃する「薬師講」に由来すると考えられている。」とある。

大寺院の薬師如来像は立派なのが多いが、民間の薬師如来像は素朴そのままのようだ。そう言えば、同じ頃、近くの地蔵山で見た石仏も、石の塊のような風情であった(ツルよ 飛んでおくれ(愛しき古里):今も貴重な田園風景を残す地蔵山古墳周辺。http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2012/12/post-15e8.html。(2012年12月24日月曜日))。

「地蔵菩薩。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E8%94%B5%E8%8F%A9%E8%96%A9。(最終更新 2012年11月10日 (土) 06:41 )」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に、「地蔵菩薩 (じぞうぼさつ)、サンスクリット語クシティ・ガルバ(क्षितिघर्भ [kSiti gharbha])は、仏教の信仰対象である菩薩の一尊。クシティは「大地」、ガルバは「胎内」「子宮」の意味で、意訳して「地蔵」と言う。また持地、妙憧、無辺心とも訳される。三昧耶形如意宝珠と幢幡(竿の先に吹き流しを付けた荘厳具)、錫杖種子(種字)はカ (ha)。 大地が全ての命を育む力を蔵するように、苦悩の人々をその無限の大慈悲の心で包み込み、救う所から名付けられたとされる。一般的には「子供の守り神」として信じられており、よく子供が喜ぶお菓子が供えられている。 一般的に、親しみを込めて「お地蔵さん」、「お地蔵様」と呼ばれる。」とある。

大木が移植してまで残るには相当な理由があるはずだ。また、それを残そうとした人々が居たはずだ。その作業の大変さと費用の大きさを考えるだけで切り捨てご免の例が多いと思う。米粒らしい供え物があるのでまだ信仰が残っているようだ。霊験あらたかなご神木となると、切り捨てご免という気持ちも萎えてしまうのか。大木には長い風雪に耐えた威厳のような物を感じる。そのような風格が出るまで数百年かかるが、切るのは一日で終わる。切ってしまえば、その大木はオーラを発しなくなってしまう。

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追記(2018/07/15):タイトル文字を大きく修正。日付追加。ランキング:3位。「赤城見台公園へ出かける機会があった。」:ここに幾つもの古墳があるとは思わなかった。

2013年1月 8日 (火)

ツルよ 飛んでおくれ(老人のヒガミ):赤城山に象がいたゾー

2013年1月8日火曜日
昨日は晴れ。最高気温(℃) 9.2 14:49。ざっそう句:七草の 粥も忘れる せっかちさ。老人モードで用事外出。畑から朝焼けを見る。障害物があるので太陽が顔を出すのは7時過ぎだ。カラスも電柱の頂上にとまって日の出を見ているかのようだ。GoogleDoodleは七草粥だったが、絵の中に「Google」の文字が見つからなかった。ある特定の人だけが分かるような工夫が暗号だ。絵を工夫しすぎたのか。一つの物も見る人により色々に見える。江戸時代に描かれた象を見ると想像力をたくましくして描いているように見える。実物を見ることも不可能に近く、伝聞や書物の情報を手がかりにしているためだろう。「群盲象を撫でる」という譬えがある。こちらは、実物があっても全体が分からない例。

2013年1月7日の天気(AMEDAS)

TAVE= 3.4
TMAX= 8.8 最高気温(℃) 9.2 14:49
TMIN= -0.4 最低気温(℃) -0.7 23:34
DIFF= 9.2
WMAX= 5 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 10.3(西) 02:03
SUNS= 9
RAIN= 0

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ツルよ 飛んでおくれ(老人のヒガミ):赤城山に象がいたゾー

辞書を引くと「ヒガミ」:名詞「僻み」、動詞「僻む」、接頭語「僻」という関連語がある。和英では:a warped view;a bias(against)とあった。強引に「ヒガミ」=「僻見」とこじつけられそうだ。IBMのマイクロソフト対抗OSがOS/2 WARPだった。IBMのHPに「2006年12月31日をもちまして、OS/2のすべての活動が終了となりました。」とあった。

上毛カルタに「裾野は長し赤城山」という一札がある。昨年、山に現れる雪の図形で、その年の農作物等の吉凶を占うという話に出会った。それが鳥なら「農鳥」というらしい。長いと言えば象の鼻という連想が浮かぶ。そこで、赤城山の裾野に象を重ねた合成写真を作ってみた。赤城の鍋割りを象の頭に見立てると、その裾野が象の鼻に対応する。昨年、赤城山に軽い降雪があった時、鍋割りの頂上に楕円形の雪形が見えた。それが、象がかぶっている綿帽子のように見えた。

赤城山 ゾウの頭に 綿帽子

ゾウの頭の綿帽子がなぜ現れるのか。その部分が丘状なっており、大きな樹木が少ないので、積もった雪がそのまま見えるのかも知れない。それではなぜ大きな樹木が少ないのか。そりゃー、ゾウの頭に空っ風がまともに吹き付けるからさ。ありていに言えば、ハゲ山だ。いや、岩石地帯で根を張れる土が無いからかも知れない。ソウゾウの連鎖。生産現場の改善運動は、なぜ、なぜを三回繰り返すと本質に迫れると教えてくれる。自分なりには、赤城山にはまだ謎が多い。雲がかかる確率は、赤城山の鍋割り周辺の西方では低く、東方の長七郎、黒檜周辺では高いように感じるのだがそれも謎。そりゃー、標高の差だんべ~。真相はどうか。ヒガミ=a warped view?。IBMのWARPはSFの時空を超えるという意味がありそうだ。

「赤城山。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E5%9F%8E%E5%B1%B1。(最終更新 2012年10月1日 (月) 08:54 )」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「山の構成 :[編集]赤城山は複成火山であり、複数の山頂の総称である。山頂名は以下の通り。
黒檜山(くろびさん、1,828m) - 最高峰、外輪山。
駒ヶ岳(1,685m) - 外輪山。
地蔵岳(1,674m) - 山頂に各電波通信の赤城中継局が置かれている。
長七郎山(ちょうしちろうさん、1,579m) - 小沼火山の一部で、爆裂火口の小沼を囲む火口壁の一部。
小地蔵岳(1,574m) - 小沼火山の一部で、爆裂火口の小沼を囲む火口壁の一部。
鍋割山(なべわりやま、1,332m) - 側火山。
荒山(あらやま、1,572m) - 側火山。
鈴ヶ岳(すずかだけ、1,565m) - 側火山。」とある。
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2013年1月 7日 (月)

技術 回顧と展望:携帯の先に何があるのか 見えない初夢

2013年1月7日月曜日
昨日は晴れ。最低気温(℃) -5.5 05:23。最高気温(℃) 10.8 11:41。ざっそう句:水道も 吐く息すらも 氷る朝。朝7時頃、台所の水道が凍結。宅内3℃台、屋外軒下で-7.7℃の寒さ。日本工業規格(JIS)では「冷蔵庫とは10℃以下、冷凍庫とは-12℃以下」との事だ。冷蔵庫の中程度の寒さだ。昨日の続きで竹切り。ミカン樹を日陰から救出。刃先をみるとボロボロと欠けていた。竹切り鋸の方が楽なのか。疲れて太い竹にもたれかかって休憩したら、竹がゆっくり揺れ動いていた。風があり少し寒い。鼻水をすすり、少しばかり汗をかきながらの作業。

2013年1月6日の天気(AMEDAS)

TAVE= 3.2
TMAX= 10 最高気温(℃) 10.8 11:41 
TMIN= -5.4 最低気温(℃) -5.5 05:23 
DIFF= 15.4
WMAX= 5.8 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 12.5(北北西) 13:10 
SUNS= 8.6
RAIN= 0

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技術 回顧と展望:携帯の先に何があるのか 見えない初夢

先日のNHK-TVでLTEで音声通話とかいう短いニュースが流れた。つい最近まで電話と言えば有線がほとんどだった。学生時代、先輩がNTTの通信研究所にいた縁で、クラスで通研を見学した。当時、メカ式の交換機が現役であったが、電子交換機の研究現場を見学して先端技術に感動した。その後の、各種サービスも電子交換というインフラの上で展開されたと思う。更に、NTTが民営化されて、NTTの事業分野への参入が活発になった。NTTは通信回線の光ファイバー化を進めたが、ADSLという技術がライバル企業で導入され、インターネットが身近になった。ADSLという技術により、情報通信と電話が電話線の上で共存できた。現在、スマホ全盛の時代になったが、老人の特権で、デジタルデバイドの崖っぷちにいる。スマホどころか、携帯も邪魔になりつつある。LTEを調べたら、以下の記事にであった。日本語がすでにLTEなのか。しかし、LTEがLong Term Evolutionの略記だと知るだけでも前進かもしれない。

「LTE(Long Term Evolution。http://ja.wikipedia.org/wiki/Long_Term_Evolution#.E5.91.A8.E6.B3.A2.E6.95.B0.E5.B8.AF。(最終更新 2012年12月20日 (木) 06:59 )」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「Long Term Evolution(LTE、ロング・ターム・エボリューション)は、新たな携帯電話の通信規格である。仕様は標準化団体である3GPPにて3GPP Release.8内で2009年3月に凍結された[1]。現在普及しているW-CDMAやCDMA2000といった第3世代携帯電話 (3G) と将来登場する第4世代携帯電話 (4G) との間の技術であるため、第3.9世代携帯電話 (3.9G) とも呼ばれる。しかし、2010年12月6日に国際電気通信連合はLTEを4Gと呼称することを認可したためマーケットでは呼称にばらつきが見られる[2]。」とある。WIKIPEDIA英語版=http://en.wikipedia.org/wiki/3GPP_long_term_evolution

追記:上記記事の「「Long Term Evolution」の名称通り、3Gを「長期的進化・発展」させることで、スムーズに4Gに移行出来るようにする、いわば橋渡し(中継ぎ)的な役割を期待されている。」という解説でLTEの意味が理解できた。適用規模が大きい技術ほど社会へ与える影響も大きいので、長期的な展望を持った技術開発は、重要である。米国で開発された、カラーテレビのNTSC方式の素晴らしさと合理性を思い出す。NTSC方式は白黒テレビのインフラを引き継ぎながらカラーテレビを実現した。音声、画像、色という信号を多重化して送受する多重化技術もLTEに生きている。日本が技術立国を進めるには、世界の技術標準を先導できる技術力が必要になる。

現役時代に使った、最初の移動通信はポケベルだった。会社で、緊急呼び出しで持たされたことがあった。自宅でも、同じ目的でしばらく使った。その後は、PHSを使用した。
「PHSのカエルコール(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2009/12/phs-607c.html)(2009/12/3)」に当時の事を書いた。

「無線呼び出し(ポケベル)。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E7%B7%9A%E5%91%BC%E3%81%B3%E5%87%BA%E3%81%97。(最終更新 2012年12月2日 (日) 05:29 )」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「無線呼び出し(むせんよびだし)とは、特定の手順によって、電波で小型受信機(通信機器)に合図を送るシステムである。主に連絡を取りたい相手が持っている通信機器に情報を知らせるために用いる。日本ではポケットベル、または略してポケベルとも呼ばれる。英語ではpager(ページャー)またはbeeper(ビーパー)という。ちなみに台湾ではBBCALLという。」

庶民が、目新しいIT技術として、ブームが起こり、携帯への架け橋となったのはポケベルだったと思う。使い勝手は悪いが、料金の安さと遊びに使えるという要素が、女子学生にも多いに受けた。やはり、いつでもどこでもという無線のメリット無しでは実現できないサービスだった。

「PDC。http://ja.wikipedia.org/wiki/PDC。(最終更新 2012年7月26日 (木) 00:19 )」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「PDC (Personal Digital Cellular) は、かつて存在したFDD-TDMAの第二世代携帯電話の通信方式の一つである。日本で開発され、日本国内で利用されていた。後述のmovaが終了したことに伴い2012年3月31日をもって使用停止となった。」

現役時代は、携帯用の半導体の売り込みや市場調査で、携帯メーカーを訪問した事がある。メーカー各社が扱う携帯の方式が幾つかあるので、最初にその情報をセールス担当から仕入れた。すでに、ガラパゴス化が始まっていたようだ。当時、携帯が嫌いな部長さんがいて、本人が出張時に連絡がとれないと嘆いていた業務係の女性がいた。平社員も携帯を持つようになる頃はついに持たされたようだ。自分が携帯を買ったのは、自社製品拡販キャンペーンで、仕方なく自分の実績を稼ぐためだった。G2方式で、値段は0円だった。その後、携帯会社の名前が変わったが、契約は続行。G2方式が終焉するまで、同じ携帯で頑張った。現在は無料で支給されたG3方式を使っている。

老人モードで外出し、電車の中の学生を見るとスマホを見たり音楽を聞いたりと個人の世界に浸っているように見える。現在の学生達の老後の姿を想像すると寒々さを感じてしまう。携帯ゲームも流行しているようだが、バーチャルな世界である事には変わりがない。お互い、顔を見ながら馬鹿話ができるのが最高の幸せではないか。イグノーベル賞クラスの携帯の出現を望みたい。

「イグノーベル賞。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B0%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB%E8%B3%9E。(最終更新 2012年12月8日 (土) 12:33 )」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「イグノーベル賞 (イグノーベルしょう、英: Ig Nobel Prize) とは、「人々を笑わせ、そして考えさせてくれる研究」に対して与えられる賞である。 イグノーベル賞1991年に創設された。「イグノーベル(Ig Nobel)」とは、ノーベル賞の創設者ノーベル (Nobel [noubel] ) の名前に否定を表す接頭辞的にIgを加え、英語の形容詞 ignoble [ignoubl]「恥ずべき、不名誉な、不誠実な」にかけたもので、もじりあるいは駄洒落のたぐいである。Ig Nobel の正式な発音は[ignoubel] で、e にアクセントがある。 これまでの受賞者、受賞内容の詳細は下記2項を参照のこと。」

2013年1月 6日 (日)

日々農天気:2012年里芋栽培

2013年1月6日日曜日
昨日は晴れ。最低気温(℃) -2.4 07:06 。最高気温(℃) 5.7 14:28 。ざっそう句:着膨れて 食い膨れして まだ小寒。風が強くないので運動不足解消のため竹切り。昨年のタケノコが立派な若竹になっている。鉈を研いでから作業。鉈の切れ具合も、斬りつける狙い場所、自分の位置・姿勢、打ち込む角度、振り上げる高さ、力・気合いの入れ方等々によって変わる。所で打ち込む角度は竹幹に対して何度位だろうか。意識せずに作業しているが最適値がありそうだ。使っている鉈は片刃。調べてみると、片刃は木の枝を払う場合等に、両刃は木を縦割にする場合等に使用するとあった。「大鉈を振るう」という言葉があるが、鉈打ち作業も奥が深い。

2013年1月5日の天気(AMEDAS)

TAVE= 0.7
TMAX= 5.4 最高気温(℃) 5.7 14:28 
TMIN= -2 最低気温(℃) -2.4 07:06 
DIFF= 7.4
WMAX= 4.3 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 8.1(西) 00:02 
SUNS= 9.2
RAIN= 0

Q
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日々農天気:2012年里芋栽培

里芋栽培には種芋が必要。今までは何とか自家用分だけは種芋を確保してきたが、いつしか栽培を止めてしまった。2012年にホームセンターと直売所(食用)から種芋を購入して栽培を再開。夏の暑さと雨量不足で作柄は良くなかったが、正月用には使えた。冬越しは、土寄せと雑草の枯れ草を掛けた霜除けだけなので、年末に堀上げた茎の下部まで腐り、芋にまで及びそうだった。とりあえず、越冬で腐らなかった分を種芋として使う予定だ。
Satoimo_oy_121224
satoimo_oy_121224.jpg

2013年1月 5日 (土)

老人の寝言:日本の家電メーカーよ自国の顧客を見捨てないでくれ

2013年1月5日土曜日
昨日は晴れ。最低気温(℃) -2.0 06:04 。最高気温(℃) 5.1 13:39 。冬日。ざっそう句:初競りの 株高に沸く あぶく銭。用事外出。道路は平常よりやや混んでいた。タウンウォッチング。電気店を一軒回った。フィリップスの直管型のLED灯が店頭に並んでいた。電球型のLED灯は数多く店頭に並んでいるが、蛍光灯を置換できるLED灯が店頭に並んだのを見たのは初めてだ。

2013年1月4日の天気(AMEDAS)

TAVE= 0.8
TMAX= 4.6 最高気温(℃) 5.1 13:39
TMIN= -1.9 最低気温(℃) -2.0 06:04
DIFF= 6.5
WMAX= 8.8 大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 15.2(北西) 14:22
SUNS= 9.2
RAIN= 0

Q
Q

老人の寝言:日本の家電メーカーよ自国の顧客を見捨てないでくれ

年頭に、「小さな発見・大きな感動」と書いたが、「小さな親切・大きな迷惑」というパロディを思い出した。前者は自分の世界で可能だが、後者は相手が必要だ。

毎日新聞は、「クローズアップ2013:東証大発会、終値1万688円 米欧好転、株高後押し 金融緩和期待で加速。http://mainichi.jp/select/news/20130105ddm003020086000c.html。(2013年01月05日 東京朝刊))」というタイトルで、「今年最初の取引日「大発会」を迎えた4日の東京株式市場で、日経平均株価の終値が東日本大震災前の水準を回復した。投資家の間で「安倍内閣の掲げる大胆な金融緩和で、円安が加速する」「世界経済が回復に向かう」との見通しが増えているためだ。期待先行で株高を呼んでいる安倍政権が、成長につながる政策を本当に実行できるのか。米「財政の崖」や欧州債務危機などの懸念が再燃しないのか。13年の市場で問われることになる。」と報じた。

日本経済新聞は、「信用取引の規制緩和、大和・野村は1月から対応
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDF30008_Q2A231C1NN1000/http://www.nikkei.com/article/DGXNASDF30008_Q2A231C1NN1000/。(2012/12/31 2:00 情報元 日本経済新聞 電子版))」というタイトルで、「全国証券取引所による2013年1月1日付の信用取引の規制緩和への大手証券会社の対応が出そろった。大和証券は4日からインターネット取引全般で始め、野村証券もネットを中心としたサービス「ネット&コール」で1月中に対応する。SMBC日興証券はネット取引全般で2月上旬に始める。」と報じた。

東証大発会の株高の原因に、「信用取引の規制緩和」の影響があるのか気になった。日本経済新聞の上記記事によると、1月4日時点では、「信用取引の規制緩和」実施は部分的のようで、株高とは直接関係なさそうに感じた。やはり、毎日新聞の「期待先行」が株高の要因なのか。

電気店を回るとき、蛍光灯を置換できるLED灯を探す癖がついていた。エネルギー問題を身近に感じるようになったためだろう。照明も昔は、魚油や菜種油等が使われた。その後、ガス灯、アーク灯、電球による照明はエジソンの電球発明以後の事だろう。電球は人類を闇の恐怖から解放し、夜の時間活用を促した人類史上有数の発明であろう。電球を使えば、安定したあかりがスイッチ一つで実現できた。ランプ生活だと、火屋の煤をふき取ったり、給油をしたりと手間も掛かった。

「老人の寝言:人間も道具も生涯現役が望ましいが(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2012/06/post-51ff.html)(2012年6月10日/日曜日)」に互換性、デファクトスタンダードについて書いた。電気器具の口金の構造等の仕様を決めることにより互換性が確保される。その作業の成果がJIS規格等に制定され維持されれば社会全体の効率化に寄与する。

「コンパクトディスク(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2009/11/post-2304.html)(2009/11/5)」音楽用CDも規格を統一することにより、アナログレコードを駆逐してデジタル全盛の時代の先駆けとなった。

「フィリップス。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%97%E3%82%B9url=。(最終更新 2012年10月27日 (土) 10:01 )」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「概要 [編集]1891年に、オランダ、ザルトボメル出身の創業者ヘラルド・フィリップスが従業員20名の電球工場を設立したのが由来である。以後、電球を欧州各地に販売して成功し、その後はラジオ受信機、蓄音機、電気通信装置などに拡大し、総合エレクトロニクスメーカーとなった。第二次世界大戦中、ドイツ軍に工場を接収され、また連合軍の爆撃で大きな被害を受けた。 戦後は一層の多角化をすすめたが、次第に不採算事業の赤字に苦しむようになった。 近年、大胆な選択と集中による事業の再構築によって「4つの重点分野」に経営資源を集中する事業構造への変身を行った。その結果、世界の主要電器メーカーの中で最も利益率が高い企業になっている。」

「パナソニック。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%8A%E3%82%BD%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF。(最終更新 2012年12月26日 (水) 14:59 )」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「沿革 [編集]1917年(大正6年)6月 - 松下幸之助が大阪府東成郡(今の大阪市東成区)猪飼野の借家で電球用ソケットの製造販売を始める。当時は松下幸之助の妻“むめの”と妻の弟である井植歳男(後の三洋電機の創業者)の3人で営業していた。」とある。

フィリップスもパナソニックも長い歴史がある優良企業だが、創業時期はフィリップスの方が早い。フィリップスは電球の製造でパナソニックは電球ソケットの製造で創業したが、そこに両者の原点を見るとともに、企業の姿勢まで見えてきそうだ。電球ソケットは電球そのものではない。電球の供給が前提の製品だ。なぜ、家電王国の日本の電気店の店頭にフィリップスの直管型のLED灯が並んでいるのか。やはり、フィリップスには守るべき物があるという企業理念を無言のうちに語っているように見えた。照明は人類の歴史とともにある。毎日夜が訪れて、それが不要になる事はない。照明器具はフィリップスが続く限り提供するのだというようなメッセージを読みとった。

昨年末、環境関係の展示会があった。そこに、直管型のLED灯を展示しているメーカーがあった。説明員に、なぜ蛍光灯互換のLED灯が店頭に並ばないのかとぶしつけに質問を投げかけた。蛍光灯には安定器とかグローランプとか付属装置があり、ごくまれだが単なる差し替えでは点灯しない事があるとの事だ。一般向け店頭販売ではそれがクレームになるので、クレームが出ない新規設置を優先して販売しているのが実状だとの事。LED灯は寿命が長い。先手必勝で、出遅れれば価格競争に巻き込まれる。日本のメーカーは蛍光灯互換のLED灯市場を見捨ててしまったのか。

2013年1月 4日 (金)

会社生活断面記:日本電産へのホールIC売り込み

2013年1月4日金曜日
昨日は曇り一時晴れ。最高気温(℃) 7.6 00:09 。日中は5℃以下と寒い。ざっそう句:初仕事 庭にぽっこり モグラ塚。聖護院ダイコンを収穫。落雷で壊れたパソコンからHDDを取り出して単体チェック。カランコロンと異音。データ救出はあきらめた。情報化時代を牽引したパソコンの歴史も長くなった。当然、パソコンの頭脳部のCPUの使用量は増大したが、その周辺機の数量はパソコン以上に多く作られている。FDD、HDD、CD-ROM、DVDetcと情報記録デバイスの進歩もめざましい。これれらの装置を影で支えているのがモーターである。

2013年1月3日の天気(AMEDAS)

TAVE= 2.8
TMAX= 6.5 最高気温(℃) 7.6 00:09
TMIN= -0.8 最低気温(℃) -1.1 23:57
DIFF= 7.3
WMAX= 6.4 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 14.0(西北西) 02:22
SUNS= 2.2
RAIN= 0

Q
Q

会社生活断面記:日本電産へのホールIC売り込み

現役時代の前半は、カラーTVの高周波系の集積回路の開発に従事した。その後、産業用集積回路の開発部門へ異動になった。業務分野しては、民生用以外何でも良いという雰囲気であった。当時としては、民生が主力で、産業用の比重は低かった。開発技術者としては、新しい分野の開発にチャレンジするのが運命でもある。パソコンの初期は、FDも5インチと大きく、オプションの外付けがほとんどであったが、3.5インチFDはパソコンへ標準搭載となって行った。FDに使えるICとして、磁気センサーデバイスである、ホールICを開発する事になった。開発が終わり、拡販の段階で、代理店から出張の依頼があった。モーターメーカーの日本電産への売り込みであった。

日本電産のホームページ(http://www.nidec.com/ja-JP/corporate/about/history/all/1970/)の沿革によると、「社員4名、小さなプレハブ小屋から日本電産はスタートしました。
」とある。1973年(昭和48年)の創立である。1975年(昭和50年)2月 に 京都府亀岡市に亀岡工場を新設。訪問したのはこの 亀岡工場だったと思う。多分1980年代の中頃だったと思う。面談したのは、HDD用のモーター開発の技術者。ホールICの仕様を渡し、話し合う内に、HDD用としては難しそうだという雰囲気を感じた。FDならどうかと思ったが、技術者の関心はHDDにしかなかった。目標はIBMのHDDに採用される事だと語った。デカイ話だったが、素直にその話が聞けた。本気なんだとその心意気に共感を覚えた。当時の事を考えれば、無謀のように思われるかもしれないが。

帰り際に、社長語録か社員心得が印刷された名刺ほどの緑色の薄い冊子を頂いた。猛烈、高い理想等々がスローガンになっていたと記憶している。それを、事務机の引き出しの片隅に大切にとっておいた置いた事がある。たった一度だけのの訪問だったが、沿革にあるように、「世界一になる!」という迫力を感じた訪問だった。代理店の担当者が、帰りの車内で、実はこういう話があるんですよと言った。日本電産の社長が、ライバル会社が夜間煌々と電灯をつけて残業しているのに、うちの会社はもう消灯しているのかとただしたら、今は夜食を食べているところで、これから続きをするのですという返事があったので無事だったとか。猛烈の上を行く逸話であるが、振り返ると最初に描いた理想が、現在では実現されているのも事実であろう。経営者の理想や能力に基づいた有言実行が社員を鼓舞し業績を伸ばすのもまた事実であろう。コンピュータのケースを開けると、幾つものモーターやファンが搭載されているのが分かる。それを見ているとついつい昔の事を思い出してしまう。

2013年1月 3日 (木)

愛しき古里:蟹沼の弁天島と八幡沼の弁天島

2013年1月3日木曜日
昨日は晴れ。最低気温(℃) -3.1 07:26。最高気温(℃) 14.3 13:40 。ざっそう句:いざ乾杯 酒気は無くとも 気合いあり。年賀状返信。来客。最近、ゴールドの免許証の色が変わってしまったという打ち明け話を聞いた。実は、自宅の近くで、まさかとシートベルトを装着していないところをお巡りさんに見つかってしまったらしい。それも数年前の話。まさかの話も白状するまで心の整理に数年間かかるらしい。最近は、年賀状の当選番号を調べていない。今年の初トチリは年賀状のスタンプの天地逆転押印。人様には出せないので自分宛に出した。これが上位入賞すればまさにマサカの慶事になる。

2013年1月2日の天気(AMEDAS)

TAVE= 5.8
TMAX= 13.7 最高気温(℃) 14.3 13:40 
TMIN= -2.4 最低気温(℃) -3.1 07:26 
DIFF= 16.1
WMAX= 7 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 18.3(西) 15:03 
SUNS= 9
RAIN= 0

Q
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愛しき古里:蟹沼の弁天島と八幡沼の弁天島

八幡沼の弁天島が古墳ではないかという話を聞いてから沼の弁天島に興味を持つようになった。伊勢崎聖苑の西方に蟹沼という沼がある。今までは単なる沼と思っていたが、かつてはその沼の周辺に多数の古墳があり、蟹沼古墳群と呼ばれているのを最近知った。昨年12月に用事が済んでから蟹沼へ行って、沼を一周した。沼には網が張られており養魚をしているらしかった。蟹沼にも弁天島があり、かなり太い松が生えていた。八幡沼が潅漑用のため池であり、最近まで養鯉業者が鯉を飼っていた。二つの事例を並べると共通していることが類推できるようになる。八幡沼一帯は名前は異なるが、本関町古墳群が存在した。それでは、蟹沼の弁天島は古墳に関係があるのかと興味は募る。

蟹沼の取水口近くに大きな水鳥が一羽いた。とりあえずデジカメに収めた。物音を感知したのかすぐに飛び立った。色は灰色のような地味な色で首が長かった。他日、八幡沼の弁天島に、同じように大きな水鳥が何羽もいたのでそれもデジカメに収めた。デジカメ画像を拡大したり、加工したりして、WEB上画像検索を参考に、比較した結果、蟹沼のがアオサギ、八幡沼のがカワウではないかと推測した。弁天島は水鳥にとっては安全地帯。弁天島の構造にも、水鳥が使いやすいのと使いにくいという差がありそうだ。
Kaninuma_aosagi_kawau_hachimannuma_
kaninuma_aosagi_kawau_hachimannuma_.jpg
左半分:蟹沼;右半分:八幡沼。

2013年1月 2日 (水)

会社生活断面記:会津藩と薩摩藩

2013年1月2日水曜日
昨日は晴れ。最低気温(℃) -2.0 04:53。ざっそう句:願掛けて 初穂供える 屋敷神。一年の初仕事は、お供えをして神仏礼拝。先祖代々の芋縁起。お供えは雑煮の芋だ。自分も戦後の食糧難を芋に助けられた芋の子だ。昨年夏の高温と小雨で夏を乗り越えた里芋が煮の主役になった。何事もない一日にも、自然や神仏や先祖のご加護があるようにも感じる。新聞に目を通し、昼過ぎから町内行事。Google関連本を拾い読み。あのOSの巨人マイクロソフトがGoogleの検索ビジネスの前では小人のようだ。今年はマイクロソフトの検索bingも使って見ようか。

2013年1月1日の天気(AMEDAS)

TAVE= 4.0
TMAX= 10.3 最高気温(℃) 10.6 14:10 
TMIN= -1.1 最低気温(℃) -2.0 04:53 
DIFF= 11.4
WMAX= 4.9 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 10.4(西) 13:52 
SUNS= 9.1
RAIN= 0

Q
Q

会社生活断面記:会津藩と薩摩藩

今春はNHKドラマ「八重の桜」に注目が集まっているようだ。歴史ドラマとなると、その時代の歴史も脚光をあびるだろう。これを機会に会社生活の一部を振り返ってみたい。

自分がサラリーマン生活を送った会社には全国各地から人材が集まっていた。自分の上司になった技術者が会津の出身であった。その記憶が以下の記事。「クレーム(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2010/01/post-59b8.html)(2010/1/31)」セット部門から異動して集積回路部門の上司となったが、自分で集積回路の設計をしたいと言い、部下が上司を指導するという貴重な体験に恵まれた。人の上に立つ覚悟というものがあったのではないか。部下の言いなりを最もらしくしゃべればその場の辻褄合わせは大体出来る。その上司の開発品も製品化されたが売り上げの実績はほとんどなかった。やがて、その上司は開発部門から品質保証部へ異動して、その部門の長になった。品質保証部の長は、会社を代表してクレームの矢面に立つ役でもある。顧客のクレームも是々非々で対応し、自社に過失があれば自社の責任も背負った。品質保証部門の仕事は多岐にわたり、QS9001の取得にも積極的に対応した。顧客からも会社からも従業員からも信頼を受けていた。今振り返るとそこに会津人気質もあったように思う。製造物という製品への信頼も大切だが、それ以前に、その物を作り品質を維持向上させる人への信頼が不可欠ではないか。

「新島八重。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%B3%B6%E5%85%AB%E9%87%8D。(最終更新 2012年12月30日 (日) 12:40 )」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「新島 八重(にいじま やえ、弘化2年11月3日(1845年12月1日) - 昭和7年(1932年)6月14日)は、幕末から昭和初期の日本女性。同志社創立者の新島襄の妻として知られる。旧姓は「山本」。一部の手紙などでは「八重子」と署名してあることから、史料によっては「新島八重子」と書かれる場合もある。 悪妻、烈婦、元祖ハンサムウーマンなどと呼ばれる[1]ほど明治の時代にあってエネルギッシュに生き、皇族以外の女性としてはじめて政府より叙勲を受けた先進的な女性である[1]。」

「明治維新。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E6%B2%BB%E7%B6%AD%E6%96%B0。(最終更新 2012年10月28日 (日) 23:17 )」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「明治維新(めいじいしん)は、江戸幕府に対する倒幕運動から、明治政府による天皇親政体制の転換とそれに伴う一連の改革をいう。その範囲は、中央官制・法制・宮廷・身分制・地方行政・金融・流通・産業・経済・文化・教育・外交・宗教・思想政策など多岐に及び、日本を東アジアで最初の西洋的国民国家体制を有する近代国家へと変貌させた。」

「会津藩。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%9A%E6%B4%A5%E8%97%A9#.E4.BC.9A.E6.B4.A5.E6.9D.BE.E5.B9.B3.E5.AE.B6.E3.81.AE.E6.99.82.E4.BB.A3。(最終更新 2012年12月5日 (水) 16:43)」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「会津藩(あいづはん)は、陸奥(後の岩代)会津郡を中心に現在の福島県西部と新潟県の一部を治めた藩。藩庁は若松城(会津若松市)。最大版図は陸奥国北会津郡、耶麻郡、河沼郡、大沼郡及び越後東蒲原郡。」

「薩摩藩。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%96%A9%E6%91%A9%E8%97%A9。(最終更新 2012年12月24日)」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「薩摩藩(さつまはん)は、江戸時代に薩摩・大隅の2か国及び日向国諸県郡の大部分を領有し、琉球王国を支配下に置いた藩。現在の鹿児島県全域と宮崎県の南西部を領有したほか、沖縄県の大部分を服属させた。」

かつて、アメリカの半導体市場の開拓の先頭に立っていた平強氏のブログ「挑戦せよ!」の「明治維新のカギは奄美の砂糖にあり。http://tsuyoshitaira.com/。(12/12/28 金曜日11:05:42)」という記事が面白い。また、新たに今まで知らなかった古里の実力を知った感激と誇りも伝わってくる。当時のアメリカの半導体市場では、民生用半導体の需要が少なかった。アメリカ市場で売れる、自動車用、産業用、通信用、ミリタリー用等の半導体を開発して欲しいと難問を投げかけられた。「初期のテレビゲーム(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2009/02/post-c6ec.html)(2006/2/18)」の記事を思い出す。振り返ると「自動車用、産業用、通信用」等の半導体も日本の特技になり、更に現在はその山を越えようとしているようにも見える。平氏は上記記事の最後に「私の 故郷の探究はこれから始めなければなりません。」と記している。人にも地域にも歴史がある。進歩が余りにも早いと歴史は伝えられることなく埋もれてしまう。人材を生み育てるのも、長い歴史を持つ地域の力がなければ不可能ではないかと思う。

2013年1月 1日 (火)

寝言老人が幼少の頃:物心が付く前後(改題):「ヨイトマケの唄」から思い出した幼少時の記憶など。130101。

2013年1月1日火曜日
昨日は晴れ。最高気温(℃) 11.8 13:22。ざっそう句:紅白で ヨイトマケの唄 流れ聞く。老人モードで年賀状作成の続き。残りも何とか年内に投函できた。手書きの文面作成も単調なので消しゴムで漢字一文字のスタンプを作った。宛名の一人一人に思い出があり、関係も異なる。まさに一期一会。今年はもう一歩老人力を開拓しよう。小さな発見・大きな感動。

2012年12月31日の天気(AMEDAS)

TAVE= 6.8  
TMAX= 11.4 最高気温(℃) 11.8 13:22 
TMIN= 0.3 最低気温(℃) 0.2 23:58 
DIFF= 11.1  
WMAX= 8.2 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 14.3(西北西) 01:08 
SUNS= 8.4  
RAIN= 0  

Q
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寝言老人が幼少の頃:物心が付く前後(改題):「ヨイトマケの唄」から思い出した幼少時の記憶など

自分の幼少の頃の様子を見てきたように話す人がいるが、どこまで正確なのか。自我・自己認識が出来るようになってある程度、自己を客観視できるようになるのではないか。それ以前の自分の姿は、他人から話を聞く位しか手がかりがない。

母から聞いた話では、自分が幼少の時、新宅が新築中で、地業工事で「ヨイトマケ」のかけ声の「エンジャ~ラヤー」とかいう声をマネていたとの事だ。当時の家庭環境から、想像すると、母は工事現場でお茶出しや「ヨイトマケ」の綱引きをしていたのではないかと思う。曾祖母が子守役で、工事現場まで自分を連れてきて工事の見物をしていたような構図が頭に浮かぶ。

「ヨイトマケの唄。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%9E%E3%82%B1%E3%81%AE%E5%94%84。(最終更新 2012年12月31日 (月) 13:48 )」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「ヨイトマケの唄(ヨイトマケのうた)は、美輪明宏(当時・丸山明宏)が自ら作詞作曲した1966年のヒット曲。」とある。

追記(2013/1/1):WIKIPEDIAの最新記事(最終更新 2012年12月31日 (月) 17:56 )に以下の記事=

「なお、NHKでは発表当時から一貫して放送自粛の措置はとられておらず、美輪本人による歌唱はもとより、様々な歌手によるカヴァーも放送されており、2012年12月31日には美輪はこの歌で第63回NHK紅白歌合戦に初出場した。77歳での初出場は史上最年長、デビュー60年での初出場も史上最長記録である。

歴代出場者全体の年齢から見ても、第40回(1989年)に満78歳で出場した藤山一郎に次ぐ歴代2位[4]であるなど、様々な話題を呼ぶものであるが、美輪本人は「この歌がヒットした50年前にも紅白出演のオファーがあったが、歌唱時間の問題で辞退した」と回想している(当時の紅白では歌手1人につき3分以内という時間制限が設けられており、この歌も大幅に歌詞を省略して歌うことをNHKから求められたが、美輪本人はあくまでも歌詞の省略はできないと主張し、当時のオファーを辞退せざるを得なかったという)[5]。」がある。

家の基礎の地固めをする装置を、子供の頃「ヨイトマケ」と言ったか覚えていないが、遊びの中で「かあちゃんのためなら、えんや~こら」とか言った記憶はある。「ヨイトマケ」に関しては、以下の記事に書いた。

「ヨイトマケの記憶(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2008/11/post-4fdb.html)(2008/11/9)」。「読みかじりの記:「ああ 正負の法則」 美輪明宏 著 (2002年 株式会社パルコ エンタテイメント事業局 出版担当)(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2011/12/2002-9f3b.html)(2011/12/25)」

「読みかじりの記:「胎児の世界 人類の生命記憶」 三木成夫 著 (1983年 中央公論新社)(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2011/12/1983-52fc.html)(2011/12/14)」個人の記憶、人類の記憶、生命の記憶底には失われた連鎖がある。

報道やメディア、更には行政までも、人権や差別に関する言葉の使い方に注意が払われている。2012年NHKの紅白歌合戦に「ヨイトマケの唄」が流れたのは、新しい時代の夜明けをを告げているのか。YOUTUBE「ヨイトマケの唄(http://www.youtube.com/watch?v=sxHf7xW12xg&hl=ja&gl=JP)」

Iob_2017_mov_deleted20171204

原ファイル名=「IOB_2017_MOV_DELETED動画削除20171204.jpg」
IOB=IMAGES ON Beloved Ones

追記(2017/12/04):以下の動画を追記


YouTube: ヨイトマケの唄



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寝言老人が幼少の頃:物心が付く前後

自分の幼少の頃の様子を見てきたように話す人がいるが、どこまで正確なのか。自我・自己認識が出来るようになってある程度、自己を客観視できるようになるのではないか。それ以前の自分の姿は、他人から話を聞く位しか手がかりがない。

母から聞いた話では、自分が幼少の時、新宅が新築中で、地業工事で「ヨイトマケ」のかけ声の「エンジャ~ラヤー」とかいう声をマネていたとの事だ。当時の家庭環境から、想像すると、母は工事現場でお茶出しや「ヨイトマケ」の綱引きをしていたのではないかと思う。曾祖母が子守役で、工事現場まで自分を連れてきて工事の見物をしていたような構図が頭に浮かぶ。

「ヨイトマケの唄。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%9E%E3%82%B1%E3%81%AE%E5%94%84。(最終更新 2012年12月31日 (月) 13:48 )」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「ヨイトマケの唄(ヨイトマケのうた)は、美輪明宏(当時・丸山明宏)が自ら作詞作曲した1966年のヒット曲。」とある。追記(2013/1/1):WIKIPEDIAの最新記事(最終更新 2012年12月31日 (月) 17:56 )に以下の記事=「なお、NHKでは発表当時から一貫して放送自粛の措置はとられておらず、美輪本人による歌唱はもとより、様々な歌手によるカヴァーも放送されており、2012年12月31日には美輪はこの歌で第63回NHK紅白歌合戦に初出場した。77歳での初出場は史上最年長、デビュー60年での初出場も史上最長記録である。歴代出場者全体の年齢から見ても、第40回(1989年)に満78歳で出場した藤山一郎に次ぐ歴代2位[4]であるなど、様々な話題を呼ぶものであるが、美輪本人は「この歌がヒットした50年前にも紅白出演のオファーがあったが、歌唱時間の問題で辞退した」と回想している(当時の紅白では歌手1人につき3分以内という時間制限が設けられており、この歌も大幅に歌詞を省略して歌うことをNHKから求められたが、美輪本人はあくまでも歌詞の省略はできないと主張し、当時のオファーを辞退せざるを得なかったという)[5]。」がある。

家の基礎の地固めをする装置を、子供の頃「ヨイトマケ」と言ったか覚えていないが、遊びの中で「かあちゃんのためなら、えんや~こら」とか言った記憶はある。「ヨイトマケ」に関しては、以下の記事に書いた。

「ヨイトマケの記憶(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2008/11/post-4fdb.html)(2008/11/9)」。「読みかじりの記:「ああ 正負の法則」 美輪明宏 著 (2002年 株式会社パルコ エンタテイメント事業局 出版担当)(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2011/12/2002-9f3b.html)(2011/12/25)」

「読みかじりの記:「胎児の世界 人類の生命記憶」 三木成夫 著 (1983年 中央公論新社)(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2011/12/1983-52fc.html)(2011/12/14)」個人の記憶、人類の記憶、生命の記憶底には失われた連鎖がある。

報道やメディア、更には行政までも、人権や差別に関する言葉の使い方に注意が払われている。2012年NHKの紅白歌合戦に「ヨイトマケの唄」が流れたのは、新しい時代の夜明けをを告げているのか。YOUTUBE「ヨイトマケの唄(http://www.youtube.com/watch?v=sxHf7xW12xg&hl=ja&gl=JP)」

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追記(2017/12/04):記事整形、過去BLOG再読、印象・コメント等
タイトルを変更して、再読。YOUTUBE動画へのリンクは
ZZZ2_YOUTUBEで懐メロ鑑賞
動画の中からからコピペ。BLOG ED進歩したのか記事内動画再生になった。

2012年12月31日 (月)

寝言老人が幼少の頃:正月の餅つき

2012年12月31日月曜日
昨日は曇り夜一時雨。最高気温(℃) 10.7 21:55。ざっそう句:餅つきの 音の彼方に 父の声。恒例の餅つき。天気予報では雨。今年は小雨決行で、臼は楠の下に置く。パラパラと降ったが支障無く終了。今年は総勢7名。餅つき中に縄飾り数本を作成。屋敷神と玄関先に飾って正月の準備は何とか出来た。

2012年12月30日の天気(AMEDAS)

TAVE= 7.0
TMAX= 10 最高気温(℃) 10.7 21:55 
TMIN= 5.4 最低気温(℃) 5.1 06:45 
DIFF= 4.6
WMAX= 7.4 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 15.4(北西) 21:52 
SUNS= 0
RAIN= 6

Q
Q

寝言老人が幼少の頃:正月の餅つき

昔は、色々な機会に餅が使われた。餅は保存食でもあり貴重品でもあった。農家は自家用に餅米を作った。日本の農業も時代の流れで大きく変化したが、米、野菜、畜産という骨格部分の変化は少ないだろう。規模は小さいが、乳牛、養豚等も行った。昔は乳価も高く、規模は小さくても何とか生活設計ができる収入が確保できたと最近聞いた。

現在は、畜産と言っても、輸入飼料の比重が高く、小規模畜産は不可能な状態だろう。父は、機械化が進んだ頃、稲作を止めて、田圃でネギやタマネギ等を作っていた。時代の変化を少し先取りしていたようだ。今まで、頑張って稲作を続けた農家も、後継者が確保できず、田圃を農業法人に貸すことにしたという話も聞くようになった。

我が家では、父の代から、餅米は購入を始めたが、餅つきだけは何とか続けている。餅つきも年中行事として、その意味を考えると興味深い。餅つき要員も年々変わっている。今年は息子の友人が助っ人をしてくれた。餅つきも共同作業だ。「老人の寝言(出番無きマニュアル):防災対策に電池と行動の「蓄備」(2012年11月12日月曜日)(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2012/11/post-cb7a.html)」記事に書いた電気工事等々を念頭に、餅つきの極意を伝授した。曰く、お互いに声を掛け合うべし。米粒が見えなくなるまで良くこねろ。若い連中は、会社もコネが8割だと笑っていた。若者同士が二人で餅をつくと、力業になり、交互につくというタイミングがずれて、相手の杵を打ったりすることもある。最悪は、餅の天地返しをするご婦人の頭を杵で叩く危険もある。コネ作業の実演をして後は任せた。見方によれば餅つきは世代間コミュニケーション手段でもあろう。

今年の縄飾りは、貰い物の新藁。最近の稲は倒伏防止のため茎が短い。鎌で葉をくしけずり、水に浸け木槌で叩いて柔らかくしてから縄に綯う。最近綯う向きは左と聞いたが、普通の縄と同じだ。飾り物としては、松の小枝とキンカンの実と半紙一切れ。身近にある物で良いと思う。息子に縄飾りを屋敷神供えさせた。玄関は作者直々。余った一本は助っ人に渡した。機嫌良く持ち帰ってくれた。以下は母が残した短歌:年の瀬の 稲荷祭りの 赤飯を 孫が上げにゆく 行事覚えよ。稲荷祭りはしなかたようだ。

2012年12月30日 (日)

愛しき古里(古代の地域):五目牛橋上流の粕川河床にあるコンクリート遺物

2012年12月30日日曜日
昨日は晴れ後曇り。最高気温(℃) 9.6 12:30 。ざっそう句:ちょっと待て ゆっくり出そう 年賀状。老人モードで年賀状作成。コンビニ印刷の図柄を切ってハガキに糊付け。文面は手書き。手作りハイブリッドハガキという所。よくよく見ると同じのが一枚もない。手抜きのため、住所は市か町以下を書くだけ。それでも時間がかなりかかる。実は郵便番号がどの程度有効に使われているのか試して見たい気持ちもある。宛先分類は機械なのか人手なのかetc。機械の場合数字認識も機械だが設備コストが高くなる。認識ミスが多くなると人が識別する必要がある。それなら最初から人が対応した方が良いのか。プリント基板の自動実装用にパターン認識を使ったチップマウンターがあるが、中国ではこれを人間がしていたと聞いたことがある。郵便屋さんが来て今日は暑いですね声をかけた。完全防寒対策しているとそうなのかも知れない。

2012年12月29日の天気(AMEDAS)

TAVE= 5.8
TMAX= 8.9 最高気温(℃) 9.6 12:30
TMIN= 1.9 最低気温(℃) 1.7 00:51
DIFF= 7
WMAX= 2.4 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 5.1(東) 12:14
SUNS= 4.8
RAIN= 2

Q
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愛しき古里(古代の地域):五目牛橋上流の粕川河床にあるコンクリート遺物

当地区は源義経伝説が多い。「五目牛」という地名もその伝説に由来している。以前に、「02A4_古代佐位郡の正倉遺跡(三軒屋遺跡):4.粕川の河床遺跡?(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/02a4-SANGENYA_ISEKI.html) 」という記事を書いた。

最近、用事のついでに、五目牛橋上流の粕川河床にある、コンクリート遺物を再度より近くで見た。左岸の堤防は舗装され、サイクリング道になっている。以前見たのは、左岸からで、河床の物体が、岩石かコンクリートか判然としなかった。今回、舗装されていない右岸に回り、河床に降りてみた。アメリカセンダングサが生えているので、衣類に種子が付着しないよう斜面を降りた。河床に並んでいる物体の一つに、コンクリートの骨材らしい鉄棒が出ていた。他の物体は直方体で、表面には玉石が見えた。これらから、推定すると、河床に並んでいる物体は、コンクリート製と思われる。川の流れに沿って並べられているので、不要になったコンクリート製の塊を水が流れる邪魔にならないように並べて河床に放置したように思われる。問題は、いつ頃、何の目的で、この人造コンクリート塊が作られたかである。

以前、地域の郷土史家に、コンクリートが珍しい時代に粕川にコンクリートの堰が作られたが、そこからコンクリートの破片を取り出して、これがコンクリートという物だと見せあったという話があったと聞いた。更に、堰の話を遡れば、地域のため池である八幡沼に水を引くとき、粕川に外右衛門水車というのがあり、その余水を引いたという話が伝わっている。コンクリート遺物のすぐ近くに大きな自然石が横たわっている。これに板を渡せば水流の向きを変える堰になる。外右衛門水車と、昔粕川に作られたコンクリートの堰に関しては詳細が不明であるが、更に調べれば興味ある事実が分かるかもしれない。この遺物がある粕川左岸から西方を見ると、こんもりとした山にみえる洞山古墳があり、その麓の南東寄りに、牛石がある。河床に横たわる大きな自然石は、五目牛の牛石を思わせる。地質学的には同じタイプかもしれない。
Kasukawa_kasyou_ibutu_121215
kasukawa_kasyou_ibutu_121215.jpg

2012年12月29日 (土)

老人の寝言:今年のレビューと来年のビュー

2012年12月29日土曜日
昨日は曇り。夜半前雨。最高気温(℃) 6.8 14:59。ざっそう句:汁滲み 熟れた食えよと 蜂屋柿。朝方は定例の仕事。宅内閑居。部屋等々の整理。暗くなって電話。雑用一件。段ボール箱に保存していたハチヤガキがブヨンブヨンの食べ頃になった。皮を剥かないので、水分を保ったまま渋抜きという化学反応が起こっている。食べるとき大事に扱わないと皮が破れて汁が流出してしまう。鳥類は進化の結果歯を失ったので、熟した果実を食べるのが好きなようだ。人間が高齢になると歯が抜けるのは鳥の進化の後追いか。WIKIPEDIA「アベノミクス(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%99%E3%83%8E%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9)」効果が買われたのか、株価急騰で大納会を迎えた激動の一年だったが、何か一抹の空疎感を感じる一年でもあった。

2012年12月28日の天気(AMEDAS)

TAVE= 3.7
TMAX= 6.7 最高気温(℃) 6.8 14:59 
TMIN= 0.6 最低気温(℃) 0.1 08:35 
DIFF= 6.1
WMAX= 4.8 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 8.8(西) 05:42 
SUNS= 0.1
RAIN= 1.5

Q
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老人の寝言:今年のレビューと来年のビュー

現役時代、その年の仕事を振り返り、来年の計画の下書きを描く、レビュー アンド ビューという恒例の仕事があった。上司に提出したり、組織の中で発表をした。過ぎ去った事は、それで終わりと片づけられれば良いが、現実はそれに対する評価を迫られる。

今年は、「コンクリートから人」というスローガンに期待し、失望した一年でもあった。聞こえが良いスローガンもいつの間にか変質し、もみ消され、悪い結果だけが残る。百年に一度、千年に一度の天災に備えるのも、それだけの余力があれば結構だ。しかし、年の瀬が迫り、今日、明日、来年をどう生きるか悩んでいるのが庶民ではないか。悩み事を解決するのが生きている証なのかもしれないが。解決にも、完全はない。優先順位といつまでという区切りが必要だ。そのためには時間のスケール感覚を養う必要がある。歳をとると、二代目、三代目等々と歴史という長い期間の因果関係も気になってくる。

株をやっている人と雑談・株談義をする事がある。株の売り買いも、経済・社会の読みが必要になり、勉強の日々らしい。株の蘊蓄を聞くのも勉強になる。時には、俺の株は根っこがある本株だと応対する事もある。こちらは手入れをすればそれなりに答えが出る。今日、日本の社会・経済・産業等々あらゆる部分が動脈硬化現象を起こしている。そこへ、大量の通貨というカンフル注射を打っても効果があるのか。運が悪ければ、ショック死の心配もあるのではないか。あふれた金が行き場を失い、日本の弱った企業がヘッジファンドやハゲタカファンドの餌食になって、日本が益々弱体化する悪夢も否定できない。いつかきた道を思い出す。

戦後の日本は、分業化が極度に進んだ。物事の全体を見渡す事が困難になった。そこに現れたのが専門家だが、専門家に任せたきった結果、とんでもない事態に直面した。その点、種を蒔いて収穫し、その後かたづけまで体験する事は、全体を見渡す上で役に立つ。後々の成功の肥やしになる失敗を恐れては何事も進まない。iPS細胞でノーベル賞というのは、この暗い世相を少し明るくしてくれた。今年も色々失敗したが、それに懲りずに進む以外意外にない。

2012年12月28日 (金)

がんばれ! ふくしま:福島県双葉町の未来は日本の未来を照らす

2012年12月28日金曜日
昨日は晴れ。最低気温(℃) -2.4 01:57。最高気温(℃) 7.9 15:16 。寒い一日。ざっそう句:古新聞 世相を流す 走馬燈。朝の屋外軒下の気温-3.5℃。室温3.3℃。宅内閑居。古新聞の整理等々。古新聞を拾い読みして、走馬燈のようにこの一年を振り返る。安倍第二次内閣が威勢良く始動。

今年の干支がタツ。来年がヘビ。タツは空想上の生物だが、ヘビは実在する生物だ。タツの姿はこれ以上スゴイク威勢が良い物はないというよな姿に描かれる。一方、ヘビは誰もが見て知っているのでヘビを絵にしてもそのスゴイ姿はタツに及ばない。まもなく今年の干支のタツが退き、次のヘビに代わる。古来、竜頭蛇尾という譬えがある。「竜頭蛇尾 出典=『景徳伝灯録けいとくでんとうろく』二一。「惜しむべし竜頭翻かえって蛇尾と成る」」WIKIPEDIA「景徳傳燈録(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%AF%E5%BE%B3%E5%82%B3%E7%87%88%E9%8C%B2#.E3.83.86.E3.82.AD.E3.82.B9.E3.83.88)」によれば、「景徳傳燈録(けいとくでんとうろく、新字表記:景徳伝灯録、全30巻)は、中国・北宋代に道原によって編纂された禅宗を代表する燈史である。」一方、WIKIPEDIAによると、「燈史(とうし,新字:灯史)は、一般的に仏教界における歴史書、とりわけ禅宗史書を指す用語である。」との事。「惜しむべし竜頭翻かえって蛇尾と成る」は理想と現実の隔離を解いた禅の公案なのか。それにしても、1000年以上前に竜頭蛇尾の譬えがあったとは。

2012年12月27日の天気(AMEDAS)

TAVE= 2.0
TMAX= 7.8 最高気温(℃) 7.9 15:16
TMIN= -2.1 最低気温(℃) -2.4 01:57
DIFF= 9.9
WMAX= 5.5 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 10.1(西) 09:34
SUNS= 9.2
RAIN= 0

Q
Q

がんばれ! ふくしま:福島県双葉町の未来は日本の未来を照らす

地域にとって重要なニュースも、全国ニュースとして流れる機会は少なく、見落としもある。最近、WEBの地方情報から、福島県双葉町の下記のニュースが目に入った。

福島民報(論説・あぶくま抄)は、「【双葉町長不信任】 混乱は復興の妨げだ(12月21日)。http://www.minpo.jp/news/detail/201212215585。(2012/12/21 08:42 ))」というタイトルで、「双葉町の井戸川克隆町長に対する不信任決議案が20日の12月定例町議会で可決された。井戸川町長は議会を解散するか辞職を迫られる。解散しなければ失職する。東京電力福島第一原発の所在地であり、全住民が町外に避難する。町政運営の両輪とされる町長と議会が決別する事態は不幸としか言いようがない。町を挙げて復興へ向かう態勢を早急に取り戻してほしい。 不信任決議案は6、9月の両定例議会にも提出されたが、いずれも否決された。今回は過去に反対した議員も賛成に回り、全会一致で可決した。決議は「町長は自分の町、自分の考えだけで事に当たろうとした」とする。全議員が一致して今月12日に出した辞職要求を拒否されたことも、3度目の決議案提出につながった。 両者が歩み寄る余地はあったはずだ。井戸川町長は6月の否決後「重く受け止める」、9月には「議会とよく意思の疎通を図っていきたい」と話した。今回の結果は、この半年、説明や意思疎通が円滑にいかなかったことを示す。 「十分な説明を受けていない」「一生懸命町民のために頑張っている」。井戸川町長は国、県、東電などへの不満や自らの奮闘を口にする。ならば、町議会へ説明し、理解と協力を得る努力をとことん重ねてほしかった。」と報じた。

河北新報は、「双葉町長不信任案可決 町議会で全会一致 進退、週明け判断
http://www.kahoku.co.jp/news/2012/12/20121221t61007.htm。(2012年12月21日金曜日
))」というタイトルで、「福島県双葉町議会は20日、福島第1原発事故で役場機能を移した埼玉県加須市で12月定例会を開き、井戸川克隆町長の不信任決議を議員8人の全会一致で可決した。地方自治法で町長は10日以内に議会を解散しない限り失職する。井戸川町長は週明けにも進退を判断する意向を明らかにした。 不信任決議は、除染廃棄物の中間貯蔵施設の立地調査をめぐり、11月28日に福島市であった福島県知事と双葉郡8町村長の協議を井戸川町長が欠席したのが主な理由。当時、調査候補地に双葉町の2カ所を含む郡内12カ所が挙がっており、井戸川町長は双葉地方町村会長として協議を主導する立場だった。」と報じた。

WIKIPEDIA「双葉町(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8C%E8%91%89%E7%94%BA)」によると、「福島第一原子力発電所(東京電力)の5号機と6号機が立地している。なお、1号機から4号機までは隣接する大熊町に立地している。 2011年3月11日の東日本大震災で被災し、これに誘発されて3月12日に発生した福島第一原子力発電所事故の影響を受けて、3月19日以後は、町役場は埼玉県内に移転した。詳しい経緯は「#歴史」を、最新情報等は町の公式ウェブサイト(#)を参照のこと。(最終更新 2012年9月24日 (月) 14:24 )」とある。

このWIKIPEDIA記事によれば、「総人口 6,310人(推計人口、2012年10月1日) 」であるが、長い歴史があり、今日に至っているのが分かる。その歴史の中で、東京電力の福島原発事故がいかに大きな出来事だったか。まさに、その長い歴史の中で存亡の危機に直面しているのが現在であろう。その存亡の危機の中にあって、自治体の首長とそれを補佐・監視する議会の責任は重大だろう。

福島民報は、町長と町会の意思疎通の不徹底を厳しく指摘しているようだ。社会や人を動かすには正当な権力や権利に従うのが民主政治の原点だろう。そうして、人・物を動かすには然るべき情報が不可欠だ。残念だが、複雑なシステムは分業体制が前提になる。そのシステム全体が、システムの目的に適合するよう働くためには、物と情報が協調して動かなければならない。ところが、その情報に格差が生じる。自己(または組織)に有利な情報は出したがらない。これは、一般的な傾向だ。ところが、存亡の危機に関する情報や将来を決める重要な情報は十分な説明を受けたいというのが住民の希望ではないか。首長が議会を軽視し、独断専行に走れば、大きな禍根を残す可能性もあるだろう。人口数千人の町政が分裂すれば、その影響は町民にも波及してくるだろう。

福島県双葉町のホームページによると、12月定例議会は「日程:平成24年12月18日(火)~12月20日(木)、場所:加須市騎西総合支所 3階 議場」(http://www.town.futaba.fukushima.jp/gikai/20121212_01.html/)で、行われたようだ。この結果町長不信任案が可決されたというサイト内記事は2012年12月25日火曜日現在で見あたらなかった。

「議会たより ふたば(http://www.town.futaba.fukushima.jp/gikai/pdf/20121101gikailetter_no102.pdf)」に前回は出席議員8名で賛成4、反対4で不信任案は否決されている。この号によると、会期4日間の傍聴者数は合計100名。内訳は双葉町民27名、町外14名、報道関係59名とある。

二元代表制で、地方自治体の首長と議会議員は有権者住民から直接選挙により選ばれる。このようなシステムはチェックアンドバランスとして暴走対策としての機能が盛り込まれていると言えるだろう。だが、首長と議員を選ぶ有権者が忘れられてはならない。その有権者も現在は、自分や家族の事で精一杯という所だろう。前回の議会では、報道関係の傍聴者数が多いが、双葉町民は27名が傍聴している。双葉町の町民は町外で分散生活をしていると思われるが、町長と議会の対立をどの程度知っているのか。町民不在で、物事が予想もしない方向に進んでしまう心配は無いのか。

福島民報は「井戸川町長は中間貯蔵施設をめぐり、現地調査受け入れを認めた県を批判する。会議に出席して見解を示すべきだったのではないか。自治体間で復興への考え方に温度差があるのはやむを得ない。相互理解を図り、調整しながら進めていくのが政治の役割だ。」と論じている。「混乱は復興の妨げだ」と混乱の早期収束を促している背景に「中間貯蔵施設」設置への設置への賛否がからんでいるようだが、これこそ住民が最も知りたいことかも知れない。

WEBを調べている時、「「反面教師にしてほしい...」双葉町井戸川町長インタビュー (http://www.youtube.com/watch?v=98sudW4C4m8)」に出会った。「アップロード日: 2012/01/16  福島第一原子力発電所のある福島県双葉町の井戸川町長は1月15日、脱原発世界会議に参加。OurPlanetTVのインタビューに応じた。」とのコメントが付いていた。福島原発事故発生後10ヶ月頃採録された長い映像だが、歴史の流れを伝えている。この映像を見て、多数の人命や安全が脅かされる過酷な原発事故が発生し、それに対処する情報が絶対的に欠けている場合、自治体の首長が、避難・誘導で安全側の行動指示をすることは当然の責任ではないかとの印象を持った。

町長も町議会議員も同じ町民だと思うが町民の声はどうなっているのか気になった。原発問題には対立・相反する多くの命題が含まれる。更に、信念や感情とも切り離せない。それを解きほぐして整理するだけでも時間と労力が必要だろう。今後の双葉町はどうなるのか、どうするのか注目したい。

第二次安倍内閣が発足した日のNHKTVは福島県双葉町井戸川町長が町議会の解散を決意したと極短いニュースを流した。

東京新聞は、「双葉町長が議会解散 中間貯蔵問題 不信任決議 「身を削る思い」
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012122702000104.html。(2012年12月27日 朝刊))」というタイトルで、「東京電力福島第一原発事故で埼玉県加須市に役場機能ごと避難している福島県双葉町の井戸川克隆町長は二十六日、町議会を解散した。除染に伴う汚染土の中間貯蔵施設建設問題などをめぐり町議会に町長の不信任を決議されたため、町長は議会解散か、辞職や失職を迫られていた。 井戸川町長は会見で「解散は身を削る思いで苦渋の決断。だが町には、避難指示区域の見直しなど喫緊の課題が山積している。(町政を)中断するわけにはいかない」と主張。一方で「不信任は大変重いと受け止めている。町民に不安を抱かせた責任に対し、町が抱える課題解決に粉骨砕身取り組んでいく」と述べた。町選挙管理委員会は来年二月上旬を軸に町議選の日程を調整する方針。」と報じた。

町長の決断を受けて、新しい町政がスタートするのは福島原発事故が2年目を迎える頃になりそうだ。町長と議会の対立は、町民内部の対立を反映しているのか。町外へ避難した住民と残留した住民では見方・考え方が異なるだろうが、自分が住む町への思いに変わりはないと思う。同じ町内でも、場所により利害の相違もあるだろう。しかし、原発事故以前のままの復興も絶望的だろう。新しい出発が必要だろう。住民や議会で話し合うにも、正しく正確な情報は不可欠だ。当局は、住民の判断に必要な情報を即刻開示・説明すべきだろう。その上で、町民の総意で町が進むべき姿を描いてもらいたい。福島県双葉町は、多数の原発が立地する日本の中で、原発事故に基づく町づくりの先頭に立つことになるだろう。福島県双葉町の未来は日本の未来の象徴でもあろう。がんばれ! ふくしま。

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  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
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