05C_技術 回顧と展望

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2012年3月25日 (日)

技術 回顧と展望:明治の文明開化から始まった電気利用は今後どうなるか

2012/3/25(日)
昨日は午前は曇り。午後より晴れ。用事外出。古本屋でDOSの本を探す。100円ショップでマスクを購入。花粉症対策。昨年の福島原発事故直後は、店頭から売り切れや買いだめでマスクが消え、入荷未定の張り紙があちこちに出ていたのを思い出す。たまたま、トイレの暦を見ていると3月25日は電気記念日と一行だけ書かれていた。電気記念日は馴染みが無く調べてみた。

2012/3/24(土)の天気

TAVE= 8.7
TMAX= 14.3 最高気温(℃)  15.6  13:40
TMIN= 5.6 最低気温(℃)   4.9  23:12
DIFF= 8.7
WMAX= 11.2 最大瞬間風速(m/s)   16.9(北西)  14:51
SUNS= 3.8
RAIN= 0

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技術 回顧と展望:明治の文明開化から始まった電気利用は今後どうなるか

「電気記念日」をWIKIPEDIAで調べてみたが内容が貧弱であった。日本電気協会のサイトで調べた。社団法人日本電気協会は「明治25年の「日本電燈協会」発足に源を発し、その後幾度かの改変を経て、大正10年10月に設立された、日本で唯一の電気関係総合団体です。」との事だが、こちらも余り馴染みがない。

日本電気協会のサイトには、「 電気記念日の由来 ;http://www.denki.or.jp/about/origin.html」というタイトルで、「毎年3月25日は、電気記念日です。 明治11年(1878年)3月25日、工部省電信局は、万国電信連合に加盟する準備として東京・木挽町に電信中央局を設け、その開局祝賀会を東京・虎ノ門の工部大学校の講堂で開催しました。 祝賀会は、大臣や各国行使など150名を越える人々が参加し、盛大に行われました。夕方、大学校の車寄せに多くの来賓を乗せた馬車が次々と到着し、玄関から2階の講堂へ案内されていきました。」とある。

いわば、「電信中央局 開局祝賀会」というメインイベントを盛り上げるためのサイドイベントが電灯の点灯だった。WIKIPEDIAの「電信」によると、「アメリカ合衆国 [編集]:1836年にアメリカの科学者デイビッド・オルターがペンシルベニア州エルダートンで電信機を発明した。
日本 [編集]:1854年、ペリーが持ち込み、日本に電信がもたらされた。ペリーは電線を1km程引き、公開実験をおこなった。このとき、「YEDO, YOKOHAMA」(江戸、横浜)と打った。1869年、電信による公衆電報が東京・横浜間で開始された。」とある。当時では、電信は通信革命と言えただろう。明治維新(WIKIPEDIA=開始時期については諸説あるが、狭義では明治改元に当たる明治元年旧9月8日(1868年10月23日)となる。)直後から文明開化の波が押し寄せているのが分かる。

「電気記念日の由来 」はさらに電灯点灯の様子を、「この日、会場に電気灯を使用するよう、工部卿伊藤博文から特に命ぜられていた英国人エアトン教授は、グローブ電池50個を使い、講堂の天井に設置されたアーク灯(「デュボスク式アーク灯」)を点灯するため、自ら難しい調整にあたっていました。 やがて6時、エアトン教授の合図とともに、目もくらむような青白い光がほとばしり、講堂をくまなく照らし出しました。その場にいた来賓たちは、「不夜城に遊ぶ思い」と驚嘆の声をあげたといいます。 これが、日本で電灯が公の場ではじめて点灯された瞬間でした。 翌年の1879年10月21日には、米国でエジソンが白熱電球を発明し、日本にも輸入されました。明治19年(1886年)には東京に電灯会社が生まれ、電灯に動力にと、電気の時代が幕を開けました。~動力への利用は電灯よりも少し遅れて、明治23年(1890年)11月、東京・浅草の凌雲閣(12階)のエレベーター運転用として、7馬力電動機に供給されたのが初めてです。明治28年2月には、京都伏見線で電気鉄道が初めて営業運転を行いました。このように、3月25日は日本の電気事業にとって忘れることのできない日です。
これを記念するため、昭和2年に開催された日本電気協会の総会において、3月25日を「電気記念日」と定めました。以来、翌年の昭和3年から毎年3月25日頃に全国各地でさまざまな記念行事が開催されています。」と記す。

上記の記事から、設置されたのはアーク灯(空中放電)であり、調整が難しいことが分かる。この問題を解決したのがエジソンの白熱電球という事になる。当地区では、父が幼少の時電灯がともり、大喜びをしたと昔話が伝わる。大正時代の中頃まではランプの生活をしていたのだ。その後、終戦まで、家庭での電気の使われ方は詳しく分からない。電灯中心の利用だと思う。終戦後、地域に共同風呂があり、これは電熱利用だったそうだ。我が家でも、卵から鶏の雛をかえした頃があり、その時は保温に電球を使っていたようだ。脱穀機も足踏み式からモーターを使った電動式に代わった。

電気は便利だが見えないという性質があり、ついついその存在と有り難さを忘れてしまうが、そのエネルギー利用の安定性に不安が目立ってきたのが現代だろう。「心象の足跡:吉田松陰を彷彿とさせる渋川市の御蔭松と楫取素彦(4)http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2012/03/post-f7fe.html」に、明治12年の交通事情として、「当時を物語る記録では、行啓は、大夫・書記官・侍医等150名からなる従官を伴って御馬車に乗り、途中大宮・熊谷・高崎に泊まり、山道に入ってからは御興しに乗り換えこの地に辿り着いた」という記事がある。明治11年の「電信中央局 開局祝賀会」と対比するとするとその格差にも興味を感じる。電気利用も単なる、熱、光、動力から、それらを自由に制御する情報通信化時代に入っている。「電気記念日」も電気の歴史を振り返り、未来のエネルギーのあり方を考える上で意義ある日に違いない。

2012年3月16日 (金)

技術 回顧と展望:「知の信頼性」はどこへ向かうか

2012/3/16(金)
昨日は晴れ。最大瞬間風速(m/s) =18.3(北北西) /14:36と強風が吹いた。町内行事。その後は宅内。ハナダイコンの花が一本だけ咲き始めた。開花時期も、条件によりばらつきが出る。以前、花暦として、周辺の花の開花を調べた事がある。3月6~10日:ぼけ、すいせん、ほお、こぶし、ミニスイセン等が咲いていた。これらの花は、今年はまだ見ていない。暖かくなると一斉に咲き出すのではないか。

2012/3/15(木)の天気

TAVE= 4.8
TMAX= 9.5 最高気温(℃)   10.1  11:11
TMIN= 0.1 最低気温(℃)  -0.1  06:09
DIFF= 9.4
WMAX= 9.2 最大瞬間風速(m/s)   18.3(北北西)  14:36
SUNS= 10.7
RAIN= 0

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技術 回顧と展望:「知の信頼性」はどこへ向かうか

少年時代から青年時代にかけて百科事典にあこがれを持っていた。学校教育では得られない知識がそこにあると思っていた。分厚く何巻もある百科事典は値段も高く、個人で持つのも不可能だった。本を読んでいると、百科事典の事が出てくることがあり、知識欲を刺激された。日本の百科事典では、平凡社のものが有名で、その創業者である下中弥三郎に関心を持ったことがある。

「下中弥三郎;。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E4%B8%AD%E5%BC%A5%E4%B8%89%E9%83%8E。」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。(最終更新 2011年3月23日 (水) 08:11 )(http://ja.wikipedia.org/)の一部引用=「下中 弥三郎(しもなか やさぶろう、1878年6月12日 - 1961年2月21日)は、平凡社の創業者、教員組合の創始者、また労働運動や農民運動の指導者。下中芳岳ともいう。1878年6月12日、兵庫県多紀郡今田村に生まれ、幼くして父を亡くし陶工となる。1898年、神戸市雲中小学校の代用教員となり、小学校準教員検定試験に合格。~学習権、教育委員会制度、教員組合結成の促進を要求した「教育改造の四綱領」を発表。1923年、「教育の世紀社」を創立。1924年、「児童の村小学校」の設立に協力する。その間、1914年には『ポケット顧問 や、此は便利だ』を発売するために平凡社を創設、1931年 - 1935年には『大百科事典』を出版して一躍「事典」出版社として著名になる。~敗戦後、公職追放。1951年、追放解除とともに再び平凡社社長に復帰。1955年、世界平和アピール七人委員会を結成。1955年 - 1959年、『世界大百科事典』を出版。1957年、日本書籍出版協会初代会長。晩年は平和運動や世界連邦運動を推進した。1961年2月21日没。享年82。」。

百科事典は知の集大成であり、物事の道理を理解するためには不可欠なものでもある。フランスの百科全書派:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E7%A7%91%E5%85%A8%E6%9B%B8%E6%B4%BEは、フランスの近代化に大きく貢献したようだ。平凡社の百科事典も、このような歴史の流れの中で発刊されたのだろう。社会人になり、何とか金の工面ができたので、平凡社の百科事典を分割払いで購入した。余り、活用した記憶はないが、必要ならいつでも調べ事ができるという安心感はあった。

asahi.comは、「ブリタニカ百科事典、書籍版244年で幕;url=http://www.asahi.com/culture/update/0315/TKY201203150137.html(2012年3月15日22時2分)」というタイトルで、「英語の代表的な百科事典で244年間にわたって出版されてきた「ブリタニカ百科事典」の書籍版が、姿を消すことになった。今後は電子版だけになる。発行会社が14日発表した。最近は電子辞書の普及や、インターネットの無料百科事典の台頭で、売れ行きが急速に落ちていた。 ブリタニカ百科事典は1768年に英国のスコットランドで発行が始まり、現在は本社を米国に移している。2010年に出版された書籍版の最新版は約4千人が執筆に加わり、全32巻。 かつては学校や図書館の必需品で、自宅で所有する人も多かったが、最新版は1395ドル(約11万7千円)という値段や約58.5キロの重量が原因で敬遠され、売れたのは約8500部。ピーク時の1990年の15分の1程度に減っていた。 」と報じた。

百科事典の書籍版が消えて行くのも時代の趨勢のようにも思う。手持ちの、カシオの電子辞書を調べるとブリタニカ百科事典が入っていた。それを使って、「ブリタニカ百科事典」を調べてみると、1768年初版:分冊形態、1871年3巻、1777~1784年第二版10巻、第三版1788~1797年18巻、第四版1810年20巻、~第十一版1910~1911年29巻、第十五版改訂版1985年32巻、1994年よりインターネット上のオンラインサービス開始とある。知識が巨大化して、電子化に向かう動きをブリタニカもとっていたようだ。数十巻の百科事典が電卓一つの中に収まってしまうのが現代だが、それを使い切れないのも現代だ。

市販の百科事典は、その分野の多数の専門家が実名で執筆しているので信頼性が高いという説を聞いたことがある。そう言われれば、フリーのWIKIPEDIA等は執筆者は匿名である。WIKIPEDIA等でも内容の信頼性向上に努めているようだ。基本的にはボランティアが無償でそのようなプロジェクトを通して貢献している。IT技術で、情報の量とスピードは飛躍的に向上した。しかし、情報の質はどうなのか。知識は情報とも異なる。知識は単なる情報の集積ではない。それなりに、洗濯・フィルタリングしてより精度と品質を向上させ、価値を高めた情報が知識になる条件だろう。今必要なのは知識なのか情報なのか。福島原発事故後の一年を振り返ると、「知の信頼性」も気にかかる。

2012年2月29日 (水)

技術 回顧と展望:日本の産業劣化に経営者の品質劣化は無関係か?

2012/2/29(水)
昨日は晴れ。用事で外出。本日は4年に一度の閏年の日。いとしき人の命日でもある。冥福を祈る。用事が済んでからタウンウォチング。電気店のカタログで最近のテレビの待機電力を調べると0.1W程度であった。待機電力の低減はかなり進んでいるようだ。表示がブラウン管から液晶に代わり、SW投入から画像が出るまでの時間が短縮しているのも関係しているだろう。テレビの価格も低下している。テレビ自体のデジタル化が進み、基本機能が中心の普及機は、自作パソコン感覚で部品の寄せ集めで作れるようになり、参入障壁が下がって、価格競争が熾烈になっているのも価格低下の一因らしい。週刊誌を立ち読み。日本の家電メーカーの業績が悪化しているが、復活に関しては厳しい見方をしていた。数日前、エルピーダメモリーが会社更生法適用申請というニュースを上毛新聞で読んだ。半導体は産業のコメ、ネジ、釘と言われてきたが、ついに来る物が来たと感じた。日本の産業は土台から揺らいでいるのではないか。経営者がその土台を正視せず後ろ向きな対応をしてきた付けが今になって現れてきたように感じる。

2012/2/28(火)の天気

TAVE= 2.2
TMAX= 6.9 最高気温(℃)  7.1  13:30
TMIN= -1.9 最低気温(℃)  -2.5  06:33
DIFF= 8.8
WMAX= 4.1 最大瞬間風速(m/s)  8.5(西南西)  04:25
SUNS= 9.3
RAIN= 0

技術 回顧と展望:日本の産業劣化に経営者の品質劣化は無関係か?

日本の半導体業界で飯を食ってきて、日欧の半導体業界では、体質の違いがある事を思い出した。日本では、半導体事業は、企業の部品供給源として、企業の中で生み育てられてきた。いわば企業内事業が中心で、半導体専門企業は極少ない。一方、欧米では、特に米国では、半導体のみで生きるという明確な目的を持った半導体専門企業が多数を占める。米国の総合企業も、色々な事情で、半導体事業を、売却、分社化等で体内から切り離している例が多い。いずれにしろ、米国では半導体事業が経営戦略という面で、市場、業界や企業経営に密着していた。技術進歩が早いだけではなく、経済の動きに即応する経営力がもとめられたのである。いわば、半導体事業は常在戦場が現実であるリスクもリターンも大きなビジネスであったと思う。

ロイター日本は、「エルピーダが会社更生法の適用申請へ、「日の丸半導体」が破たん;url=http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYE81Q03W20120227(2012年 02月 27日 17:19 JST)」というタイトルで、「[東京 27日 ロイター] 経営再建中のエルピーダメモリ(6665.T: 株価, ニュース, レポート)は27日に会社更生法の適用を申請する方針を固めた。同社幹部など複数の関係者がロイターに語った。 同社の坂本幸雄社長が午後6時半に記者会見する予定。東京商工リサーチによると、同社の2011年末の連結ベースの負債総額は約4818億円。日本の半導体事業の復活をかけて国の全面支援を受けた「日の丸半導体」会社は生き残りの道を描ききれなかった。
 半導体メモリーのDRAM市場で世界3位のエルピーダは、リーマン・ショックで経営が悪化した2009年6月に産業活力再生特別措置法(産活法)の適用第1号となり、日本政策投資銀行を通じて優先株による300億円の公的資金の出資を受けた。しかし、半導体市況の低迷に伴う価格下落、急激な円高で業績が再び悪化。11年4―12月期の連結純損益が989億円の赤字(前年同期は102億円の黒字)となるなど、財務体質が一段と悪化していた。 産活法適用の期限が3月末に迫る中、再認定を得るための条件の1つとされた他社との業務提携を結ぶため、DRAM世界4位の米マイクロン・テクノロジー(MU.O: 株価, 企業情報, レポート)との資本・業務提携も模索していたが、結実する見通しが立たないことから、法的整理の元での再生を決断したとみられる。」と報じた。

上記ロイターの記事で『「日の丸半導体」が破たん』という象徴的タイトルは、ロイターだから書けたようにも見える。その背後には米国半導体の生き残りがあるだろう。記事末尾にには:(ロイターニュース 白木真紀 布施太郎;編集 山川薫)とクレジットがある。

「 IT用語辞典バイナリ > IT企業家列伝 >
坂本幸雄とは」は、「坂本幸雄;url=http://biography.sophia-it.com/content_jp_venture/%E5%9D%82%E6%9C%AC%E5%B9%B8%E9%9B%84」というタイトルで、「坂本幸雄
読み方:さかもとゆきお

坂本幸雄とは、エルピーダメモリ株式会社の代表取締役社長・最高経営責任者(CEO)である。半導体産業界で経営難にあえぐ数社の再建を成功させ、その手腕から「半導体業界の救世主」とあだ名される人物である。1947年9月3日生、群馬県前橋市生まれ。 1970年に日本体育大学体育学部を卒業した坂本幸雄は、半導体メーカーの日本テキサス・インスツルメンツ(TI)社へ入社した。体育会系で、半導体に関する知識もなく、倉庫係として資材の出入庫を始めたという。しかし20年の勤務を経たころには、坂本幸雄は取締役を務めるまでになっていた。その陰には、在庫を把握する能力や、持ち前の体力、判断の決定に至るまでの迅速さといった坂本幸雄の特長がある。坂本幸雄はTIで副社長までを歴任した後、神戸製鋼所に移って半導体本部長に就任した。そして2000年には日本ファウンドリー(現・UMC Japan)社長へと就任している。」と紹介されている。

日本の半導体事業、特に電子機器のねじ、釘に相当するメモリーやデジタル半導体が斜陽化する中で、エルピーダメモリ社長の活躍に注目していた。自分が現役時代では、半導体業界では、どちらかと言えば無名だったように感じる。エルピーダメモリの社長になるのも、あえて火中の栗を拾うという気持があったのではないか。世界における熾烈な半導体戦争で、日本の最終戦争を指揮する武将の姿を同氏に重ねた人が多かったのではないか。言い換えれば、同氏以外日本の最終戦争を指揮する経営者がいなかったのではないか。日本の経営者はお家の大将で満足だったのか。

エルピーダメモリ株式会社は、「会社更生手続開始の申立てに関するお知らせ;url=http://www.elpida.com/pdfs/pr/2012-02-27j.pdf(平成24年2月27日)」というタイトルで、「当社は、平成24年2月27日開催の取締役会において、会社更生手続開始の申立てを行うことを決議し、東京地方裁判所にその申立てを行いました。同申立ては、同日受理され、直ちに、同裁判所より弁済禁止等の保全処分命令、強制執行等に係る包括的禁止命令、及び監督命令兼調査命令が発令されましたので、下記のとおりお知らせいたします。なお、同時に連結子会社である秋田エルピーダメモリ株式会社についても、会社更生手続開始の申立てを行っておりますが、こちらにつきましては、別途「当社子会社の会社更生手続開始申立てに関するお知らせ及び債権の回収不能に関するお知らせ」をご参照ください。
本件申立てによって、債権者の皆様をはじめ、これまでご支援とご協力を頂きました関係各位に多大なるご迷惑をお掛けする事態となりましたことにつき、誠に申し訳なく、心よりお詫び申し上げます。
今後は、東京地方裁判所及び同裁判所から監督委員兼調査委員に選任された土岐敦司弁護士の監督の下、役職員一丸となって会社の事業の再建に尽力して参る所存ですので、何卒ご理解とご支援を賜りますようお願い申し上げます。」と報じた。

エルピーダメモリの末路は、まさに「刀折れ矢尽きる」の状況のように思われるが、法令に従った会社更正が行われるという点では公正な処置ではないかと思う。債務超過に対する処置も、国家のルールが定めているのである。新しい体制で、国の産業の基礎を担う企業として復活する事を願うばかりだ。

「エルピーダメモリ;。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%94%E3%83%BC%E3%83%80%E3%83%A1%E3%83%A2%E3%83%AA。」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。(最終更新 2012年2月28日 (火) 13:41)(http://ja.wikipedia.org/)の一部引用=「シェア推移 [編集]:
1999年(平成11年)6月の日立製作所と日本電気による合弁会社設立発表当時、DRAM世界市場でのシェアは日本電気が約11%、日立製作所が約6%であった。その後業績低迷が続き、現社長が就任した2002年(平成14年)には4%代まで落ち込むことになる。東証一部に上場した2004年(平成16年)には6%まで上昇し、2006年(平成18年)は10.2%と合併以前の日本電気の水準まで持ち直してきている。 2008年(平成20年)になると、韓国・サムスン電子、ハイニックス半導体に次ぐ14.2%(ガートナー調べ)のシェアを占めている[5]。 2009年(平成21年)の第3四半期はサムスン電子(35.6%)、ハイニックス半導体(21.6%)に次ぐ16.8%のシェアであったが、第4四半期には、サムスン電子(31.7%)、ハイニックス半導体(21.6%)に次ぐ19.4%とシェアを上げた[6]。」。

韓国では半導体産業を国策として優遇している。上記ロイター記事は「日の丸半導体」と述べているが、日本国、日本の産業界はエルピーダメモリの事態をどのように見ているのだろう。もう少し、産業の土台部分を正視する必要はないだろうか。

2012年2月25日 (土)

技術 回顧と展望:WIN XPは永遠に不滅?

2012/2/25(土)
昨日は晴れ。天気も良く気温も上がり屋外活動もやりやすくなった。残念だが、宅内で資料整理やパソコン作業をした。色々なファイルを開いて、エクセル操作をしているとフリーズしてしまった。ME機ではフリーズが日常的に起こったので、XP機ではかなり安定している。再起動すると正常に立ち上がり作業を続行できた。

2012/2/24(金)の天気

TAVE= 9.8
TMAX= 14.7 最高気温(℃)  14.8  15:00
TMIN= 6.7 最低気温(℃)  6.7  05:02
DIFF= 8
WMAX= 7.5 最大瞬間風速(m/s)  15.6(北西)  20:40
SUNS= 10
RAIN= 0

技術 回顧と展望:WIN XPは永遠に不滅?

マイクロソフトは、「Windows(R) XP Home Editionのサポート提供期間を2014年4月まで延長 ~ユーザーからの要望や市場の状況を考慮し、延長を決定~;url=http://www.microsoft.com/japan/presspass/detail.aspx?newsid=2947(2007 年 1 月 25 日 (Japan))」というタイトルで、「マイクロソフト株式会社(本社:東京都渋谷区)は、マイクロソフト製品のサポート提供期間や内容をまとめた「マイクロソフト サポートライフサイクルポリシー」( http://support.microsoft.com/lifecycle/ )に基づくMicrosoft(R) Windows XP Home EditionならびにWindows XP Media Center Editionのサポート(注)の提供期間について、ユーザーからの要望や市場の状況を考慮し、今般2014年4月までサポートを提供することを決定しました。 日本市場では、Windows XP Home Editionのユーザー数が非常に多いことから、サポート提供期間の延長に対する要望が高まっていました。今般、マイクロソフトでは、このユーザーからの要望を重視し、当初の予定に加え、さらに5年間の延長サポートを提供することを決定しました。同時に、同じくコンシューマ向けWindows XPのエディションであるWindows XP Media Center Editionに対しても同期間延長サポートを提供します。」と報じている。

マイクロソフトが「サポート提供期間の延長に対する要望」に対応した姿勢は評価できるだろう。その裏にはWIN XPを切れない事情があったとは思うが。とりあえず、我が家のXP機も2014年4月は何とかもたせたい。昔、会社時代に時代の動きの速さをDOG YEARでたとえた事を思い出した。パソコンの寿命は更に短い。それなのに、OSのWIN XPが10年以上生き延びるのは驚異的なのかも知れない。WIN XPが消えた後の世界に何が来るのか。マイクロソフトは予定調和的にばっさりと切り捨てるのか。マイクロソフトは常にアップルを意識しているだろう。良きライバルであったS.Jobsは黄泉の国へ行った。パソコンの姿も変わりつつある。一層のことWIN XPをフリーソフトにしてくれると有り難い。そうすれば、サードパーティがサポートを続行するだろう。マイクロソフトは次なるビジネスモデルに専念する。WIN XPをフリーソフトにするだけでマイクロソフトは膨大なビジネスチャンスを開拓出来るのではないか。その先はWIN とLINUXのファイナルバトルになるのか。

WINとLINUXが接近すると、今度はLINUXにしようと考えたりもしている。ともかく、われわれ老人達が、呆け防止と趣味と実益を求めて活動するときにパソコンも大切な機材だ。聞くところによれば、そのパソコンのテキストに百均本を使うとの事だ。老人の安全運転には旧型パソコンで十分だ。数千円で旧型パソコンが使えればその意義は大きい。シャープがパソコンのソースコード等を公開したという記憶もある。WINパソコンのソフトとハードの遺産は膨大である。それらが継続して使えれば、マイクロソフトの名前も永遠に残るのではないか。

2012年2月23日 (木)

技術 回顧と展望:Googleのトップ画面に「ハインリヒ ヘルツ 生誕 155 周年」と出た!

2012/2/23(木)
昨日は晴れ。暖かい天気だった。宅内で整理。庭に出てみると万年青の赤い実が無い!。実は落ちていないが、実が付いていた跡が残っていた。鳥が食べてしまったようだ。秋から冬、春へと、鳥は柿⇒ピラカンサ⇒ミカン等と食べ進んでいるようだ。ナンテンの実は遅くまで残っている。いよいよ食べ物が無くなると野菜を食べ始める。食べる場所は止まって羽を休める枝等を選ぶようだ。

2012/2/22(水)の天気

TAVE= 7.0
TMAX= 11.5 最高気温(℃)  12.1  14:32
TMIN= 2.1 最低気温(℃)  1.3  06:29
DIFF= 9.4
WMAX= 4.6 最大瞬間風速(m/s)  9.4(東南東)  16:06
SUNS= 9.3
RAIN= 0

技術 回顧と展望:Googleのトップ画面に「ハインリヒ ヘルツ 生誕 155 周年」と出た!

Googleのトップ画面は簡潔だ。その時々に合わせた画像が表示されている。2012/2/22(水)の画面にはオシロスコープの疑似正弦波のような画像が流れていた。そこにカーソルを合わせると「ハインリヒ ヘルツ 生誕 155 周年」と表示された。ついでに、その画面をクリックするとGoogleで「ハインリヒ ヘルツ」を検索し、WIKIPEDIAの「ハインリヒ・ヘルツ - Wikipedia」が第一位に検索された。遊び心があるニクイ仕掛けである。何と誕生日その日の事だ。

「ハインリヒ・ヘルツ;。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%84。(最終更新 2012年2月22日 (水) 09:08 )」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「ハインリヒ・ルドルフ・ヘルツ(Heinrich Rudolf Hertz, 1857年2月22日 - 1894年1月1日)は、ドイツの物理学者。マックスウェルの電磁気理論をさらに明確化し発展させた。1888年に電磁波の放射の存在を、それを生成・検出する機械の構築によって初めて実証した。」とある。

WIKIPEDIAの「前半生 [編集]:ドイツのハンブルクで、裕福な文化的階級の家に生まれた。父は弁護士としてハンブルクの顧問を歴任し、後に政治家となった。母は医者の娘だった。3歳年下の弟と妹がいた[1]。 学校においては、アラビア語とサンスクリット語の語学と同じように、科学への適性も見せた。ドイツのドレスデン、ミュンヘン、ベルリン市で科学と工学を学んだ。キルヒホッフとヘルムホルツの指導学生として、1880年にベルリン大学にて博士号を取得。その後もヘルムホルツの下に研究生として残った。 1883年、キール大学(ドイツ語版)の理論物理の講師となった。1885年には、カールスルーエ大学の教授となり、そこで電磁波を発見した。」にも興味がある。

「キルヒホッフ」の法則は電気回路の基礎方程式としてお世話になった。マックスウェルの方程式は有名だったが理解できなかった。それを導くときには色々梯子があったが、最終的にはその梯子を外して美しい方程式にしたと講義の中での話を思い出す。ヘルツはマックスウェルの予言を実証したわけだが、WIKIPEDIAの記事のように、今日ほど電磁波が使われるとは予想できなかったのは無理もないだろう。しかし、昔のラジオ少年が鉱石ラジオを作り、理工学に目覚めた例は多いだろう。自分にとってもヘルツは恩人だ。

ヘルツに名をとった周波数の単位はWIKIPEDIAによれば、「サイクル毎秒(サイクル)は、1960年に国際度量衡総会が制定したSIには採用されず、同じ量を表すヘルツ (Hz) を使うようになった。 日本の計量法では、1995年9月30日まで使用が認められていた。単位名は「サイクル又はサイクル毎秒」、単位記号は「c、?又はc/s」だった。 サイクル毎分 (c/min, cpm)、サイクル毎時 (c/h, cph) も使われる。SIに対応する単位はなく、換算が必要である。文脈によってはこれらも単にサイクルと呼ばれることもある。」とある。

青少年時代は周波数の単位はサイクルを使い、社会人になってからはヘルツを使った。所で、今から155年前は、安政(あんせい)4年(西暦1857年)になる。日本で電気と言えばエレキテル。「エレキテル;。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AC%E3%82%AD%E3%83%86%E3%83%AB。(最終更新 2012年1月20日 (金) 10:00)」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「概要 [編集]:オランダで発明され、宮廷での見世物や医療器具として用いられていた。日本へは江戸時代に持ち込まれ、1751年(宝暦1)ごろオランダ人が幕府に献上したとの文献がある。後の1765年(明和2)に後藤利春の『紅毛談(おらんだばなし)』で紹介され、それを読んだ平賀源内が長崎滞在中の1770年(明和7)に破損したエレキテルを古道具屋、あるいはオランダ通詞の西善三郎から入手し、工人の弥七らとともに1776年(安永5)に江戸で模造製作に成功した。」とある。日本にエレキテルが伝わった頃からほぼ100年後にヘルツが生まれた訳だ。

当地では1864年元治元年に八幡沼開鑿が完工している。国定忠次が処刑されたのが1850年、嘉永3年である。江戸末期の日本の科学水準と当時の西洋科学の水準の差を考えてしまう。八幡沼開鑿にどのような技術が使われたかほとんど分かっていないらしい。ともかく日本にも、平賀源内のような変人?がいたから、科学への関心が途切れなかったのではないかと思う。

Googleのトップ画面の「ハインリヒ ヘルツ 生誕 155 周年」から色々な連想ができた。とりあえず、この画面の作者に拍手。遂に日本の稼働中の原発は2基のみとなった。関西の交流電力周波数60ヘルツと関東の50ヘルツの壁は依然険しい。交流発電機関西1888年、関東1893年導入。何と120年ほどこの周波数の壁は続いている。脱原発を進めるためには、日本中の発電機を連結した巨大なスマートグリッドを実現し、システムの安定化、効率化、電力の低価格化を進める必要がある。その第一歩は周波数の壁の突破だだろう。

2012年2月 7日 (火)

技術 回顧と展望:コンピュータ時代の偉人

2012/2/7(火)
昨日は晴れ後曇り。わずかに雨が降ったが、AMEDASでは雨量になっていない。また寒さが戻った。用事外出。文庫本1冊。S.Jobs伝記本立ち読み。アップルがLISAという名前のコンピュータを発売したという記憶は残っていた。それが自分の娘の名前だったとは初めて知った。

2012/2/6(月)の天気

TAVE= 3.1
TMAX= 6.7 最高気温(℃)  7.2  12:43
TMIN= -2.4 最低気温(℃)  -2.9  05:43
DIFF= 9.1
WMAX= 3.5 最大瞬間風速(m/s) 
SUNS= 2.2
RAIN= 0

技術 回顧と展望:コンピュータ時代の偉人

アップルコンピュータに関しては色々な情報が溢れている。アメリカのコンピュータの歴史には個人の名前が輝いている。日本もコンピュータの黎明期には色々な人が活躍しているが一般人でその名前を知る人は少ないだろう。アップルは余りにも有名になりすぎたが、自分はアップル製品をほとんど使ったことがない。唯一、デジカメにアップルのQUICKTIMEというソフトが付いてきて、それをインストールしたが余り使った記憶がない。パソコンで動画を扱うほどCPUの能力が無かった時代だろう。ともかく、そのソフトを登録したためか、いまだにアップルから広告のメールが届いている。

「Lisa (コンピュータ);ref/WIKIPEDIA/⇒:。http://ja.wikipedia.org/wiki/Lisa_%28%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%BF%29;(最終更新 2012年1月19日 (木) 07:50)」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「Lisa(リサ)は、1983年にアップルコンピュータが製造・販売したオフィス向け16ビットパーソナルコンピュータである。当時としては先進的な機能と操作性を持っていたが、動作の遅さや価格の高さなどの理由で商業的には失敗した。」、「このコンピュータの名称の由来は、Appleの正式発表では"Local Integrated Software Architecture"の頭文字をとったものとされている。しかし、スティーブ・ジョブズの自伝を執筆したウォルター・アイザックソンによれば、1978年当時、 命名者のジョブズにはクリスアン・ブレナンとの間に婚外子のリサ・ニコール・ブレナン(英語版)が誕生しており、父子鑑定テストの結果、94.41%の確率で親子であると確認されているにも関わらず、ジョブスが認知を拒否しているという事情が存在したため、リサ・プロジェクトの広報を担当していたレジス・マッケンナ社が、先述の語源を作ったのだという。」とある。

S.Jobsは禅に興味を持っていたようだ。最近アップルが出している製品も、そのハードだけを見ると日本が一番得意とした小形のパーソナル機器と言えるだろう。携帯電話はその一例だが、日本はメーカーも方式も数多く、市場がガラパゴス化していると言われて久しい。ガラパゴス化も生物の生態を見ると興味はある。市場としては規模が少なく競争がそれなりに厳しいので新規参入を拒める利点はある。しかし、何らかの異変が生じるとその異変に流されてしまうおそれもある。企業も個人の夢を実現しようと生まれ、それが成長して社会的存在となり、個人を超越する。やがてその企業も恐竜のように消滅の時を迎えるかもしれない。コンピュータ時代の偉人も競争社会の産物なのだろうか。前マイクロソフト株式会社(日本法人)代表取締役社長成毛眞氏がコンピュータ界で著名な人物は1955年生まれが多いと書いていた。終戦後の競争が少ない時代で、のびのびと育ったのがその要因だそうだ。今後の少子高齢化社会の到来は暗いイメージを受けるが、青少年の受験や就職の競争の様子も変わるだろう。ロボットのように教育でプログラムされた人間はご免という時代がくるのだろうか。

2012年1月29日 (日)

技術 回顧と展望:原子力発電所のストレステストの信頼性は誰が保証する?

2012/1/29(日)
昨日は晴れ。27日に続いて寒い日。自家水道が凍結していた。日向で手仕事。剪定ばさみを研いだ。一昨日、浄化槽の水質検査員が来た。今度はこちらから寒くないかと聞いた。さすが屋外作業の専門家、防寒対策はしているとの事。そんな話をしたら、こういうのがあると、くるぶしまで届くモモヒキを出してくれた。早速着用。今までは膝下までのものを着用。群馬県でもインフルエンザは増加している(インフルエンザについて;url=http://www.pref.gunma.jp/02/p07110015.html)。要注意だ。

2012/1/28(土)の天気

TAVE= 0.4
TMAX= 3.8 最高気温(℃)  4.4  12:58
TMIN= -3.4 最低気温(℃)  -6.2  04:55
DIFF= 7.2
WMAX= 7.5 最大瞬間風速(m/s)  13.3(北北西)  13:24
SUNS= 9
RAIN= 0

技術 回顧と展望:原子力発電所のストレステストの信頼性は誰が保証する?

原発のストレステストが関心を集めている。「ストレステスト;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%B9%E3%83%88;(最終更新 2012年1月23日 (月) 10:12)」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「ストレス・テスト(英: stress test)とは、システムに通常以上の負荷をかけて正常に動作するか、つまり隠れた欠陥がないか調べるリスク管理手法のひとつである。耐久試験。」、「原子力発電所:実際の作業としては、原発の施設の設計に基づき、想定以上の地震や津波が来た場合、テロリストによる攻撃を受けた場合、飛行機が墜落した場合などに、どのくらいの事故になるかをコンピュータシミュレーションにより予想するもの。」とある。

コンピュータシミュレーションでどこまで原子力発電所の信頼性の評価が出来るか疑問がある。コンピュータシミュレーションが適用できるのは、コンピュータ上に構築したモデルが現実の評価対象を正確に反映していなければならない。そのためには、破壊や劣化のメカニズムがシミュレーションモデルに乗らなければならない。破壊や劣化は、非線形現象、確率現象も含む。原子力発電所を正確に記述するシミュレータが不可欠だろうが、それは可能か?極論するとコンピュータご託宣に過ぎないのではないか。なぜなら、コンピュータ上で加えられるストレスはあくまで仮想のストレスに過ぎないのだ。半導体製品のように単価の安い工業製品ならば実際に、各種のストレスを印可してその信頼性を評価できるが、原子力発電所は破壊テストは許されない。原子力発電所の設計審査にはトラック何台分程の資料があると聞いたことがあるが、そのような設計審査をしたとしても東京電力福島原発事故が起きている。その事故原因が徹底的に解明されない限り、原子力発電所ストレスは絵に描いた餅のように見える。

日本経済新聞は、「IAEA調査団が大飯原発視察;url=http://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C93819490E0E4E2E2938DE0E4E2E3E0E2E3E09790E3E2E2E2;at=DGXZZO0195583008122009000000(2012/1/26 10:40)」というタイトルで、「国際原子力機関(IAEA)の調査団は26日、経済産業省原子力安全・保安院がストレステスト(耐性調査)の1次評価結果を妥当とした、関西電力大飯原子力発電所3、4号機(福井県おおい町)を視察した。団長を務めるIAEAのジェームズ・E・ライオンズ原子力施設安全部長は「既存の原発に対して行われている取り組みと手法を評価する」と語った。 調査団は東京電力福島第1原発の事故後に緊急安全対策の一環として配備された、空冷式非常用発電装置の接続・起動訓練などの作業を確認。31日までに、ストレステストが的確に実施されているかどうかの評価書を保安院に提出する見通し。」と報じた。

毎日新聞は、「EU:原発、4カ国で改善要求 安全性強化を--ストレステスト;url=http://mainichi.jp/select/world/news/20120108ddm002030107000c.html( 2012年1月8日)」というタイトルで、「【ブリュッセル斎藤義彦】原発の耐震性などを調べる欧州連合(EU)の安全評価(ストレステスト)で、ドイツ、オランダ、ハンガリー、ブルガリアの4カ国の原子力規制当局が電力事業者などに対して安全性を強化するための改善措置や追加調査を要求していることがわかった。特定の災害を想定していなかったり、調査の時間が足りなかったりしたことなどが理由。EUは福島第1原発事故を受け他国・地域に先駆けて安全評価を実施したが、限られた時間で安全性を評価し切れなかった実態が明らかになった。」と報じた。

ストレステストの実態は、原子力発電所を知る、原発メーカーや事業者が行っている自己評価に近いようだ。どうしても自分には甘くなる。日本のストレステストの場合、IAEAの視察の役割は何か。原子力安全保安院の評価にお墨付きを与えるだけで終わるのか。残念ながら、原子力発電所のストレステストの信頼性を保証する機関はありそうにない。

2012年1月26日 (木)

技術 回顧と展望:理工系嫌いが進む日本の技術に未来はあるか?

2012/1/26(木)
昨日は晴れ。圃場に出て土遊び。一昨日の続き。シノ掘り兼苗移植。土が湿っているのでシャベルが重い。モズが2~3m近くまで鳴かずに接近する。パサパサと羽の音だけさせて近づくが鳴かない。デジカメで撮影しようとしたがすぐに飛び去った。モズの狩りで、警戒心が強いという習性を感じる。子メダカの容器を覗いたら、解けかけている氷の下でピクピク泳いでいた。気温は7℃程度だった。氷直下の水温は?水と氷が共存している状態だから氷点温度、0℃に近いのではないか。動きは緩慢だが、容器を叩くと下にもぐった。風が吹いてザワザワと音がした。体感で風が強いと感じるのが風速5m/s程度、最大瞬間風速はその2倍の10m/s程度。大体でも物事を数値的に把握したいと思っている。雲は南西から北東に向かって流れていた。ついでに調べた結果:わた雲 、むくむく雲という積雲(WIKIPEDIA)のようだ。雲底高度300~1500m程度らしい。雲が10m/sで流れれば、分速で600m。時速で36km/H。「関東平野を長距離移動:25~35[km/h];url=http://deztec.jp/design/10/05/03_life.html」程度のようだ。たまに空を見上げて雲が流れるのを見た。改めて地上にへばりついている自分の姿に気付く。メンテナンスの表示(風ログ):「日時: 2012年1月26日(木) 2:00 ~ 11:00 頃の予定」。FREE SOFT:デスクトップカレンダー(しののん氏作成)をインストール。このカレンダーは自作PCでも使わせてもらった事がある。久しぶりのリバイバル。先月、今月、来月の3ヶ月を縦並びに設定。デスクトップが昔に戻った気分で懐かしい。スケジュールには追われたくないがパソコンに向かうとき、月日のアナログ的把握に有効だ。

2012/1/25(水)の天気

TAVE= 2.4
TMAX= 8 最高気温(℃)  8.9  14:35
TMIN= -2.6 最低気温(℃)  -2.7  07:17
DIFF= 10.6
WMAX= 5.2 最大瞬間風速(m/s)  10.4(西北西)  13:18
SUNS= 8.7
RAIN= 0

技術 回顧と展望:理工系嫌いが進む日本の技術に未来はあるか?

日本の民生機器の稼ぎ頭であったテレビが不調で、TVメーカー各社の経営の足枷になっているようだ。昨年は地デジ移行で一時的なブームがあったが、逆にそれが需要の先食いとなり厳しさだけが残ったようにも感じる。日立のテレビで思い出すのがポンパ。トランジスタを多用して電源SW投入後の画像の立ち上がりを早めた所に、待たせないという拙速文明の目新しさがあった。ブラウン管に直ぐ絵を出すには、ヒーターを予熱しておく必要があり、ポンパを働かせるには待機電力を使っていたはずだ。最近のTVスペックを見ると、環境意識の向上か、待機電力もかなり小さくなっていた。世界が、生産や消費と言う点でグローバル化する事により、ビジネスのあり方も変わってしまった。生産力も技術力も大差が無くなると、行き着く先が価格競争。それに巻き込まれないようにするのは、技術戦略か経営戦略。日立の事業分野も非常に広く・深くなっているので多少の痛みは伴うが、問題点を早期に摘出しておこうというのが今回の発表なのだろう。その内容は、「薄型テレビ事業の再編に関するお知らせurl=http://www.hitachi.co.jp/New/cnews/month/2012/01/0123.html」として2012年1月23日に発表された。生産委託やOEMにより自社ブランドを維持しつつ、開発・生産の再編を行う。実質的には撤退へ向かうのが一般的なパターンだ。ともかく、技術力、生産力を失えばやがて市場での競争力は落ちてくる。日立の事業展開で興味があるのはHDDからの撤退。IBMから買ったビジネスを今度はWDに売却する。占有率の問題で独禁法絡みとなり当局の判断を求めているようだ。ビジネス全体の売買は、そこに働く技術者にどのような影響を与えるのだろうか。技術者も会社の状況を見て、残るか退くかを決める時代になってしまったようだ。自分を高く売るためにも自分の能力を高め、キャリアを磨かなければ、技術者も生き残れない。化石時代の技術者としては、そんな風に浮ついていてはいい仕事は出来ないと言って見たい気もしないではない。願わくば、技術者が自分のアイデアや夢を売れる時代になって貰いたい。理工系など最初から毛嫌いされている時代なのだから。

ついでに、2012年の総合人気企業ランキング(url=http://www.gakujo.ne.jp/2012/contents/ranking2012/overall.html)を調べてみた。このデータを見て、改めて製造業の人気低下を実感した。
Ninki_kigyou_ranking
YOMIURI ONLINEは、「米アップル、売上高・純利益とも過去最高;url=http://www.yomiuri.co.jp/net/news/20120125-OYT8T00861.htm(2012年1月25日)」というタイトルで、「【ニューヨーク=小谷野太郎】米アップルが24日発表した2011年10~12月期決算は、売上高が前年同期比73・3%増の463億3300万ドル(約3兆6000億円)、純利益は同約2・2倍の130億6400万ドル(約1兆160億円)となり、いずれも四半期の過去最高となった。」と報じた。S.Jobs死亡後の業績変動に関心が集まっていたが、順調な業績を確保した。この明暗の落差の原因は何か。

2012年1月13日 (金)

技術 回顧と展望:情報を探す技術はどこへ行く(「横井庄一」さんを探す)

2012/1/13
昨日は晴れ。寒気が到来して終日寒かった。強風にはならなかった。終日宅内で過ごした。うっかりして床の何物かを踏みつけた。よくよく見るとキャットフードが交じっている。猫がもどしたのだ。猫に文句も言えないので、かみさんに一言。あの猫もうおばあさんだから仕方ないとの事。猫と共に自分たちも老いているのだが。

2012/1/12の天気

TAVE= 1.2
TMAX= 6.1 最高気温(℃)  6.7  13:42
TMIN= -2.8 最低気温(℃)  -3.1  23:58
DIFF= 8.9
WMAX= 6.5 最大瞬間風速(m/s)  11.7(北北西)  00:07
SUNS= 9.3
RAIN= 0

技術 回顧と展望:情報を探す技術はどこへ行く(「横井庄一」さんを探す)

WEB検索も色々な入り口がある。それなりに便利だ。特に検索エンジンはブラウザのお気に入りを過去のものにしてしまった。会社時代もWEBから色々な情報を探して利用した。英文契約書の雛形等もあって、そのような便利なサイトはお気に入りに登録した。WIN95の自作機を使っていた。当時はNECのPC98が主流で、DOS/V機は主にパソコンマニアが得意にしていた。会社でDOS/V機の普及をさせたのがそれらのパソコンマニアであった。彼らがPCパーツを集め、DOS/V機を組立、それを社員に割り当て、管理やメンテも行った。正式な業務ではなく、芸が身を助けるというような形だった。やがて彼らが、職場のIT部門の担当へと育っていった。需要と供給という関係から、パソコンのサービス業務が生まれて行く姿を見ていた。ある時、あてがわれた自作機のHDDがつぶれてパニックになった。当然バックアップは必要だという事は頭では理解しているが現実が伴わない。失ったデータで影響が大きかったのがメールアドレスとお気に入りだった。当時はネットワーク利用も進みある程度のデータはサーバーに残っていた。当然だが、パソコンのCディスクのデータが失われた。その次ぎにあてがわれたのがWIN2000を搭載した自作機。最近の会社のパソコン事情はよく分からないがセキュリティ管理は非常に厳しくなっていると思う。当時はパソコンウイルスの蔓延でパソコン使用が禁止になった時もあった。

最近色々な検索エンジンが普及しているが、その検索エンジンも所詮その機能を提供している企業の利益が最終目的なので中立性とかで不満もあるようだ。あるキーワードで検索すると、そのキーワードに関連する広告が最初に出る場合がありギョットした事があった。WEBを覗いていると、国立国会図書館サーチ」(NDL Search)が正式運用に入ったという記事に出合った。こちらは、国立国会図書館が提供するサービスでその信頼性等に関しては期待できるのではないかと思う。

ともかく検索エンジンも巨大なデータベースと言えるだろう。ところで、検索エンジンは各サイトにロボットを巡回させて情報を集める仕組みらしいが、ライバルの検索エンジン同士がお互いのサイトを覗き合っているというような事はないのかとお節介な考えが浮かんでしまう。物の本によるとあらゆるWEB情報を全て飲み込んで使ってしまおうと野望もあるようだ。検索エンジンや情報検索でたどり着いた情報にはどんな意味があるのか。

昔、コンピュータに疎い人から、コンピュータはこちらが頼めば何でも計算してくれるのかいと聞かれた事がある。素人なりに盲点をついた質問だと今でも思い出す。ともかくコンピュータに何か入れれば何かを出してくれる。IT技術は自分の性にあったのを程々に使うべきなのかもしれない。

国立国会図書館サーチにアクセスして、早速「横井庄一」を検索したら、検索結果114件と出た。そのトップに「横井庄一のサバイバル極意書/もっと困れ! 横井庄一 著 小学館 1984 (Be-pal books) 」が出てきた。この本は横井庄一さん最初の自著だと思う。多分読んだ記憶も残っている。タイトルの「もっと困れ!」に微笑ましさを感じた。この厳しい現実の中で横井さんのサバイバル精神は忘れられない。自分が一番驚嘆したのは、数十年のジャングル生活で、日々の暦が狂わなかった事。当然一人暮らしで、食事から針仕事まで全部自分でやった。横井庄一さんのサバイバル精神をもう一度見直したい。

2011年11月23日 (水)

技術 回顧と展望:S.Jobsとhp9100A(改題):老人の寝言:日本はどこへ行くのか。111123。

2011/11/23
昨日は晴れ。朝7:30の室温は12.9℃。外に出ると霜が降りていた。AM宅内で残務。PM外出。前橋初霜平年:11月13日との事だ。平年は10年毎に見直されている。今年がその見直しの年の筈。温暖化で紅葉が遅くなったと言われている。初霜の平年値も遅くなったのか。ラジオでは熊谷・前橋に初霜と報じていたので当地でも初霜だと思う。

2011/11/22の天気

TAVE= 8.5
TMAX= 14.4
TMIN= 3.6
DIFF= 10.8
WMAX= 4.5
SUNS= 9.7
RAIN= 0

最低気温(℃)  3.5  01:01
最高気温(℃)  14.4  15:01

技術 回顧と展望:S.Jobsとhp9100A(改題):老人の寝言:日本はどこへ行くのか

外出のついでに書店に立ち寄る。週刊誌はパナソニック株式会社の業績不振を報じていた。その不振を押し広げているのが会長の出身部門。身内に甘かったのが傷口を広げたのではという指摘をしていた。

アップルはどうだったか。アップルが不振の時それを立ち直らせたのがS.Jobs。S.Jobsの翻訳伝記本が店頭一等席に山積みされていた。第1章をペラペラとめくってみた。家族のこと、幼少年時代のことに興味があった。育ての父の存在が後のS.Jobsへ与えた影響が大きかったようだ。

また、シリコンヴァレーという最新の技術的雰囲気が満ちた地域とそこでの人間関係がS.Jobsをコンピュータに目覚めさせたのが分かった。そうして、ヒューレットパッカード社のhp9100Aというコンピュータに衝撃を受けたような事が書かれていた。

このhp9100Aを頭の中にたたき込んだ。調べてみると、Hewlett Packard HP 9100A electronic programmable calculator, 1968.とあった。S.Jobsはこのコンピュータに中学生か高校生の頃に会っていたのだ。

そうして、その写真を見ると何と自分がSパラメータからYパラメータの変換に使ったコンピュータと同じであった。自分もS.Jobsと同じ物を見ていた。

その記憶はhttp://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2009/02/post-c796.htmlに書いた。当時のSパラメータ測定システムは、SG、ベクトルボルトメータ、Sパラメータ測定ユニット、それにデスクトップコンピュータであった。

このシステムを導入した上司は後にエレクトロニクス部門に異動し、コンピュータの開発に従事したようだ。また、Sパラメータ測定システムは後にはトランジスタ等のパラメータ抽出システム、抽出したデータを活用する回路設計CADへと展開して行った。

このような技術の流れを振り返ると、ヒューレットパッカード社が現在でも世界のパソコンシェアランキングで第一位である理由が何となく分かる。
hp9100Aの写真
Hp9100a

url=http://4ki4.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-5efb.htmlによるとそのTOP10は(世界のパソコンシェアランキング(2009年) 順位  PCメーカー  国名  シェア
1  HP  アメリカ  19.7%
2  DELL  アメリカ  12.6%
2  Acer  台湾  12.6%
4  レノボ  中国  8.2%
5  東芝  日本  5.2%
6  ASUS  台湾  4.1%
7  アップル  アメリカ  3.7%
8  サムスン電子  韓国  2.1%
9  SONY  日本  2.1%
10  富士通  日本  1.8%)
である。

ヒューレットパッカード社は元々は計測機器メーカとスタートした企業だが、1999年にその計測機器部門を現アジレント・テクノロジーとして分離させている。ともかく、自分が入社した当時はhpの測定器にはよくお世話になった。

その中心はhp608EというVHF帯域信号発生器。url=http://www.messmuseum.de/hp608e.htmにその概要があり懐かしかった。Weight :62 lbs ( kg)、Power :220 watts、Technology :tube, transistorとあり、真空管式で鉄の固まりのように重かった。測定器をフル稼働すると、冬はシールド室はほかほか暖かかった。夏は地獄。昼食後は睡魔が襲った。

S.Jobsが長じて理工系と文化系の中間の分野に向かったのにも、S.Jobsが生まれ育った環境が大きく影響していたのだと思った。日本では理工系離れが叫ばれて久しいが、地域の企業等がもう少し小中学生達へ関心を持たせるような活動をしても良いのではないかと思った。

自分も子供達を自分の職場へ連れていって仕事をしている所を見せてやりたいとい思ったことがよくあった。結局一度も実現しなかった。親がどんな仕事をしているかも子供にはブラックボックス。職場もブラックボックス。当然そこで使っている機械類もブラックボックス。子供達はそのブラックボックスを打ち壊して成長するのではないか。

S.Jobsが、育ての親が自動車の修理や器具の製作をしているのを見て、父親は凄いと尊敬していたが、ある日、父親より自分の方が優れていることに気付いた場面の記述が印象に残る。

父親は子供が最初に乗りこえるべき存在なのだ。それが、子供が独立して行くための最初の踏み台なのだ。このような体験が勇気と自信を与えるのではないか。

*************************
追記(2017/11/16):記事整形、過去BLOG再読、印象・コメント等

Googleで「S.Jobs」を検索。そのトップに下記のように表示される:

*************************

スティーブ・ジョブズ - Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/スティーブ・ジョブズ

スティーブン・ポール・“スティーブ”・ジョブズ(Steven Paul "Steve" Jobs、1955年2月24日 - 2011年10月5日)は、アメリカ合衆国の実業家、資産家、作家、教育者。 アップル社の共同設立者の一人。アメリカ国家技術賞を受賞している。

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この記事はS.Jobs死亡後、二ヶ月以内に書いていたので、その死亡を念頭に書いたような記憶がある。ブランド名としては有名だが、製品として余りお付き合いをしなかったのが、日本ならソニー、米国ならアップルであった。当時、S.Jobsの翻訳伝記本が発売されており、少し立ち読みした。その後、古本を入手したが、ツンドクのままだ。

S.Jobsが死亡してから6年程経った。この間に、日本の家電メーカーの経営状況は壊滅的に悪化してしまった。再び、過去の栄光を取り戻せるのか。もはや、日本の家電の繁栄は過去の物になってしまったのか。

電気製品は、基本的には道具であり、安くて信頼性が高ければ、あまりメーカーにはこだわった事も無い。そんな訳で、パソコンはDOS/Vの流れに乗ってきた。子供達には、自作のDOS/V機を与えたが、知らぬ間にMAC派になっていた。今では、MACもDOS/Vも使えるので、それで良かったのだろう。

DOS/Vパソコン (2009年2月 4日 (水)の記事へのリンク)

道具あれこれ記:半端道楽:デジカメで撮影したノートパソコンの異音?;爺婆の 迷子が絶えぬ バス旅行。171116。(東芝テレビ事業を売却)

最近の日本の電気メーカーは、壊滅状態になりそうだ。何が、問題なのだろうか。やはり、経営者という人材不足なのか。製造業、サービス業への投資が不足なのか。長期的な視野に立って、戦略的投資を決断できる銀行家という人材難もあるのか。

ともかく、人材、人の動き、経営、政治、経済、産業、教育、文化、何事を見ても、刹那的なのが、最近の日本の現状のようだ。今が良ければ、それだけで満足だという状況の先に何が起こるのか。


検索サイト

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  • 日経サイエンスのウェブページ
    「日経サイエンス」とは:「日経サイエンス誌は,1845年に創刊された長い歴史と伝統を持つ米国の科学雑誌「SCIENTIFIC AMERICAN」の日本版で,世界の最先端の科学技術動向を日本の読者に届けています。」
  • SCIENCE IS FUN in the Lab of Shakhashiri
    University of Wisconsin-Madison Chemistry Professor Bassam Z. Shakhashiri のサイト

みかん栽培関係情報

ISESAKI  有情2

ISESAKI  有情1

嗚呼 伊勢崎 非情

BOOKS

  • 橋本 英文: 刃物雑学事典 図解・刃物のすべて(1986年 株式会社 講談社 ブルーバックス B-659)
    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
    雑草を多面的に解説し防除の基礎も述べる

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MEMO 海外の博物館・美術館

  • https://www.artic.edu/collection?place_ids=Japan&page=6
  • 項目のタイトル2
    POST IT :ブログ画面への張り紙に使える。
  • TYPE LIST事始め
    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)